「 円空 〜旅して、彫って、祈って〜」へ。
仏像にまみれてきました。
観音三十三応現身立像
むかし、仏像にはまってお寺を巡っていた時期がありました。
年月を経て、仏像の前にいる自分が違っていました。
なんて言うんだろうか…
昔は、仏像の姿に美しさを感じていたのが、
今は、仏像に祈りを感じるのです。
彫る人の祈り、手を合わせる人の祈り、
手を合わせる人の祈りを思い彫る祈り。
そういう祈りの前に立っている感覚。
自分の中にある祈りに目を向けると同時に、
人の中に宿る、祈りという概念。
生きることへの必死さと希望、希望を求める心というか…、
弱さを抱えて揺らぎながら、
生きようとする人の祈りへの、切なさや愛しさ。
護法神立像
…なんて、人の祈りについて考えながら、
すこし離れて見ると、
木彫りの仏像から、仏の姿が立ち現れたようではっとしました。
狛犬
祈る人の目の先に、仏の姿が表れる。
そう思い、感じてから見ると、
円空の、祈る人の心を思う円空の祈りが、しみじみと染みてきて。
あてどない切なさや愛おしさが、心の中にいっそう濃く湧いてきました。
両面宿儺座像
JUGEMテーマ:美術鑑賞
]]>3月17日(日)の紙面「産經書房」とデジタル版への同時掲載です。
記者の客観的な視点で端的に表すと比嘉正子さんはこうなるのかと。
取材の積み重ねで、もはや頭の中で3Dで動いている比嘉正子さんが、
シュッとポートレートになって見えました。
敗戦間もない大阪で、子どもたちの生命を守るため
「お米をください」と時の絶対権力GHQに乗り込み直談判した比嘉正子さん。
戦後の混乱の中、おかみさん(主婦)たちの小さな力を集めて、
生活を守るために奔走した人。
昭和6(1931)年に比嘉正子さんが大阪市の都島で
公園を園舎にはじめた青空保育園。
それは託児所と幼稚園の機能を合わせもつ福祉的幼稚園で、
平成27(2015)年に少子化対策として始まった
幼保連携型認定こども園の原型ともいえるものでした。
このblogの「日々を織る|Person6 安心して生んで老いていける町へ』に連載。
「家庭がどうこうあろうと、子どもたちは平等だ」と、
子どもたちが等しく可能性を拓いていく「子どもたちの館」をつくり、
保育を軸にした地域づくりに邁進した人、比嘉正子。
常に弱い立場の人とともに立つ社会事業家、比嘉正子は
日本の消費者運動の生みの親、
実践によって消費者運動を日本社会の中に根づかせた人でもありました。
生活を守るために、生活者の立場から現実を動かし続けた比嘉正子が
より多くの人に知ってもらえるように。
大同団結をモットーに、権力を倒すのではなく味方に変えて、
子どもたちを、弱き者を守るために闘いつづけた比嘉正子の軌跡を描いた
『比嘉正子 GHQに勝った愛』が、
一人でも多くの人に読んでいただけることを願うばかりです。
編集の方が送ってくださった紀伊國屋書店・梅田店の
書架に並ぶ『比嘉正子 GHQに勝った愛』。
賢そうな本たちと並んでいる…こてこての大阪弁満載なんだけど…
産經新聞デジタル版、書評『比嘉正子 GHQに勝った愛』へはこちらから。
JUGEMテーマ:本の紹介
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日曜日なので混雑を覚悟していましたが、
雨の日の朝一だったせいか、
近づいたり離れたりしながら、思いのほか
一点一点ゆっくりと見ることができました。
空や雲や水には、こんなにも油画かな色が存在しているのかと、
光とともに映し出される情景に魅入ってきました。
実際に絵の前に立った時の、
画家の姿を想像しながら、その情景の中に誘われるような独得の感覚。
時を超えることができる瞬間を、味わってきました。
近くで見える、筆づかい。一筆ごとの色づかい。
そして離れて見える、光の煌めき、あわいを含んだ色彩の美しさ。
見えない空気を見せてくれるような、光と色。
時空を超えて、その瞬間の光に包まれているようでした。
JUGEMテーマ:美術鑑賞
昨年11月、大阪府社会福祉協議会の従事者部会 集団指導者養成教室で
講師を担当させていただいたセミナー&ワークショップ、
「ブランディングで仕事の魅力を掘り起こす」についての記事が、
「ワークショップ|福祉施設×ブランディング」というタイトルで、
以前、このblogにも記事をアップした研修会です。
「ブランドは人柄」というフランセの考え方を受けとめてくださった
参加者からの声に触れ、
午後からの仕事のモチベーションが急上昇いたしました。
従事者部会のインスタグラム @jyujisyabukai にもアップしてくださっています。
福祉の現場の方々の、ご自身の仕事への誇りと責任感が、
利用者の方々、そのご家族、
そして地域の人たちのQOL向上につながる。
ブランディングにはその一助となる力があるという思いを
受けとめてくださった方がいるのだと勇気づけられます。
文章という抽象的な仕事が、誰かの生活の小さな力になるのだと信じて、
自分にできる小さなことを重ねていこうと気持ちを強くしています。
大阪府社会福祉協議会 研修報告(参加者の声)の記事URLはこちら
https://www.osakafusyakyo.or.jp/jujishabukai/cms/article.php?cat=1&id=110
]]>
「出版のお祝い!」と、友だちが贈ってくれたプリザーブドフラワー。
自分のことのように、一緒になって喜んでくれる気持ちがうれしくて。
そのうれしさが、自分のなかの喜びを大きくしてくれました。
やっとスタートラインについたと、
喜びよりも緊張感が勝っていた気持ちが、ふわっとほぐれて、
そうだ、私はうれしいんだと、ジーンときました。
友情と喜びと感謝が、ぎゅっと詰まった花。
頼んであったケースがやっと届いたのでさっそく、飾ります。
力を合わせてくださった方々、よろこんでくださった方々。
孤独さと、人の中にあるという喜びと。
お祝いしてもらった時の、あのうれしさ。
出版が決まったとき、本ができたとき、発行を迎えた日の喜び。
ここにくるまでの、いろいろな思い。
すべての思いが、「感謝しかない」という言葉になって
腹の底に座っています。
この文章を書いている間に、
いろいろな人の顔が浮かび、いろいろな言葉が思い出されます。
日々の慌ただしさに、この思いを褪せさせることのないように。
大切な大切な宝物です。
ありがとう。
JUGEMテーマ:エッセイ
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京都「えき」、イッタラ展へ。
すること、いっぱい。やる気もある。
しかし、頭の中がわちゃわちゃで落ち着かない。
これはもう、頭の風通しだと、いただいた招待券を手に出かけてきました。
一つひとつの作品に、魅入りました。
フォルム、色、透き通るガラスをとおして生まれる光と影。
吸い込まれるような感覚に身を委ねていると、心が凪いでいきました。
しーんと、心が澄んでいくのを感じました。
なかでも「氷上釣りの穴」というオブジェには強く心惹かれ、
ほんとうに作品のなかに吸いこまれていきました。
どこまでも広がる、氷の、透き通る地平の上に立ち、
深部へとつながる穴の向うに果てしない大自然を感じるような。
別世界へと旅をするような時間がそこにありました。
美学や哲学、概念が形になって目の前にある。
なんだかすごい世界に浸ってきました。
イッタラの世界を伝える案内の文章も、
皆川明さんや隈研吾さんのインタビューも、
しーんと凪いだ心に染みていきました。
そして本棚に、大好きな本がまた一冊増えました。
ゆっくりとした時間に、イッタラの世界観を表すエッセイを読むのも楽しみです。
しーんと静まった心持ちで見上げた夕暮れ前の空も美しかった。
JUGEMテーマ:美術鑑賞
]]>3月5日、著書が出版されます。
『比嘉正子 GHQに勝った愛」というノンフィクション小説です。
敗戦直後の大阪で、子どもたちの生命を守るため
GHQに「お米をください」と直談判に乗り込んだ女性がいました。
名もなき小さな力を集めて、生活者を守るために闘い、
やがて政財界で一目を置かれる存在として改革の風を吹き込んだ彼女の軌跡は、
今の私たちの生活の中に残っています。
行動によって現実を変え続けた比嘉正子という人物に惹かれ
取材を始めてから2年半、一冊の本になりました。
大同団結をモットーに、将来の生活者の視点をもって
現実を明るい方へと変えていくのだと、行動し続けた人。
将来の子どもたちに、より良い社会を残すために闘い続けた
比嘉正子という愛の人の物語。
彼女の愛が、一人でも人に届きますように。
JUGEMテーマ:本の紹介
]]>「大阪府社会協議会 従事者部会 集団指導者養成教室」なる研修会で
ワークショップの伴走者をつとめてまいりました。
『ブランディングで仕事の魅力を掘り起こす』というタイトルで、
人材の育成と定着という課題に
インナーブランディングの手法でアプローチする試みでした。
福祉法人のブランディングに携わり
福祉の現場の方々とお話するようになって10年あまり。
専門的な知識と技術、そして経験に鍛えられた想像力と創意工夫で、
日々、乳児からお年寄りまで、障がいの有無も含めて様々な人たちと向き合っている
福祉の仕事について、1つまた1つと知るたびに、
その仕事の大変さ、難しさ、素晴らしさに感服してきました。
ワークショップにむけてレクチャーからスタート
その仕事の魅力、素晴らしさを再発見、再認識していただく。
そして現場のお一人おひとりがその魅力と素晴らしさを担っているのだと
自覚と誇りをもっていただく。
その一助として、インナーブランディングを役立てていただきたい思いでの
ワークショップでした。
自分の仕事が好き、福祉の仕事が好き。
そういう人に出会った利用者は、きっと生活が楽しくなると思います。
日々の生活が楽しくなれば、人生が豊かになる。
福祉の仕事は人を幸せにする仕事だと、
福祉施設を訪ねた時にお会いする利用者の方々の笑顔に、
その感想は思い込みではないと実感してきました。
ほんの数時間をそこで過ごす外の者と、
責任を担う内の人との感覚は違うと思います。
けど、誰かの生活を楽しくしているのだと、
外の者との出会いで感じていただくことは悪くないんじゃないかなと、
講師のお話をいただいたときからワクワクしていました。
参加者の交流も兼ねたワークショップ
グループを1つの法人と見立て、メンバーそれぞれが一施設の責任者。
そういう設定で、ブランドビジョンを明確に言葉化し、
ブランディングの重要な要素の1つであるブランドカラーを決定。
私自身がクライアントのブランドストーリーを構築し描いていくプロセスを
凝縮したプログラムで、
ブランドストーリーを発信していく軸づくりを体験していただきました。
ワークショップに向けて、
ブランドやブランディングに対する考えを共有するレクチャーと
プレゼンテーションを含めて3時間30分。
タイトなタイムスケジュールだとも思いつつ、
ぜひ体験していただきたいことを詰め込みました。
活気にみちたワークショップ
ファシリテーションで伴走
ワーク中、ファシリテーターとして会場を周り、
話し合いに参加する中でいろんな意見に触れ、
あらためて福祉の現場の力に感じ入りました。
問いかければ必ず、明快な答えが返ってくる。
それは皆さんの日々の仕事の密度や思いの強さの表れのように思いました。
全員参加のプレゼンテーション
施設の利用者や地域社会との信頼関係を
日々の仕事の中で築いていらっしゃる福祉施設は、
どこも既にブランドなんだと私は思っています。
ただそれを、意識してマネジメントしていくかどうか。
それが福祉施設の、ブランディングの次のステップなのだと思います。
皆さんのプレゼンテーションに感じ入ってのクロージング
運営陣とご参加者と一体になってつくったワークショップ。
普段の仕事とは、すこし違ったチームワーク。
楽しかったです。
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香りからのインスピレーションで描かれた作品展。
まず、視覚だけで絵画を鑑賞し、
次に、インスピレーションのもととなった香りをかいで鑑賞。
香りとイメージが自分のなかで混ざりあっていく過程を楽しむ。
同じ香りから描き出される世界の異なり。
イメージの多様な広がりを目の前に、
クリエイティビティというものの自由さをあらためて知る。
表現の自由というものが意味するところは、この無限性ではないだろうか。
感性に枷をつけることなく表現していく。
その表現の方法を模索するなかで、
それぞれが自身の倫理や自己と向きあい
自分のあり方、姿の一端として作品をつくりあげていく。
ここまでの過程をすべて含めて表現の自由だ。
絵画も、造形も、書も、文章も、演劇、舞踏、音楽も、
形式に違いはあっても、
それが、あらゆる表現において共通する自由ではないだろうか。
もしかしたら、ビジネスにおいても同じかもしれないとここまで書いてふと思った。
人が自分のなかに生まれた思考やイメージを
なんらかの形で他者と共有するためにアウトプットする行為を表現と呼ぶとして。
そして、通りすがりの小さなアート展をきっかけに広がっていく考えを
言葉に変えているいま、表現の自由を楽しんでいるのだなと思うこの瞬間、
絵画とともに味わった香りが鼻腔の奥に甦ってきた。
視覚だけで好きだなという感覚と、
香りからのインスピレーション、描く世界観への好きだなという感覚が
重なるのがまた面白かったなと思い出しながら。
香りそのものとの段差と、
ああ、そうかと、官能的にすっと自分のなかに馴染む感覚との
心地よい刺激のあった作品が、より強く記憶に残っている。
※展示作品の写真は、会場となっている施設のインフォメーションで
私個人のSNSなどへの掲載の範囲で許可をいただいたものです。
JUGEMテーマ:エッセイ
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1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、と言うけれど。
昔からそう言うのやと、祖母もよくそう話していたけれど。
いやほんとうに、行く姿も、逃げる姿も目にもとまらぬ速さで
駆け抜けて行った2022年の1月、2月。
何をしていたっけと振り返ると、いろいろしていた。
いろいろしていたのだけど、何もできていないような気にもなる。
一つひとつを重ねてきたのだけど、
時が駆け抜ける速さの前で蹴散らかされて何もできていないような気になる。
取材を重ねて、情報を編集し、プロットを構想し、
一文字ひと文字を選んで繋いでいく。
遅々と重ねるそんな歩みが、時の速さの前に蹴散らかされていくような
切ない気持ちになってしまった。
いや、焦らなくていい、確実に積み上げていく原稿が時の証だ。
ほんの数日前の雛祭りも遠い昔の思うほど毎日が速いけど、
雛飾りの名残りだって、まだそこにある。
慌ただしく出かけ、慌ただしく帰ってきた今日も、
花は静かに咲っていた。
扉を開けると花が咲っていて、「ただいま」の瞬間がはんなりする。
大丈夫。
このはんなりのなかに留まる数秒があるのだから、まだ大丈夫。
JUGEMテーマ:日々の切れ端
朝ごはんの片付けをして、小豆を茹でる。
あちらこちらの戸を開け放して掃除をしているので、
小豆が煮えていく香りが家中を満たしていく。
ほわほわとあたたかい気もちになる。
掃除をすませると小豆がちょうどよい具合に煮えている。
豆と茹で汁を、それぞれタッパウエアーに分ける。
研いだ米も、冷蔵庫にしまう。
小豆粥の下ごしらえができたところで、
鏡開きの日からしまってあった正月飾りを玄関に揃える。
しめ飾りと、松の枝、南天の枝、葉牡丹。
玄関や和室に、正月の華やぎの名残をくれている
色とりどりの菊や千両の枝は一輪挿しにそのまま挿しておく。
身支度をして、近くの神社のとんど焼きへ。
火の番の男性に手渡すと、
お焚き上げの火の中で稲わらが勢いよく燃えて、
すっと清々しい気持ちになる。
そのまま父の眠るお寺への初詣。
ご本尊をはじめ、日ごろ奥におられる秘仏がご開帳で、
手を合わせていると心が自然と沈黙していった。
ただ、沈黙してそこにいる。
心も頭も沈黙に明け渡して、そこにいる。
そしてお参りのあと、
ご本堂にお供えしていただいていた鏡開きの餅を頂戴する。
しーんと静かになっていた心が、うきうきとしだす。
家に戻るとちょうど昼時。
超特急で着替えをすませて台所へ。
朝からの準備万端はこのためなのだ。
材料の下ごしらえだけでなく、土鍋まで棚から出して置いてある。
朝に続いて、再び台所から居間へと小豆の香りが溢れだす。
お腹グーグーである。
そろそろ粥が炊きあがるというところで、いただいたばかりの餅を焼く。
炊きあがった小豆粥を器によそう。
思いのほか、いや、思っていたとおり、
たっぷり炊きあがった小豆粥の器は丼鉢である。
丼飯ならぬ丼粥である。
そのたっぷりの粥の真ん中に粥柱の餅をのせる。
おお、まん丸の望月である。
無病息災であることの有り難さを思い知らされたこの2年間。
この一年もまた、健やかに、
三度の食事をおいしくいただける日々でありますように。
JUGEMテーマ:エッセイ
明けましておめでとうございます。
日の出間近の白みはじめた空を、
東、北、西、南と大きな円を描いて雁の群れがぐるりぐるりと飛んでいた。
川面には横一列に並んだ4羽の鴨がL字に水紋をなびかせていた。
鳥たちの鳴き声が冴えた風にのって響いていた。
川の西側に建つ高層ビルのガラスの壁面がオレンジに輝きはじめた。
通りすがりのご婦人が「ご来光ですか」と東を仰ぐ私の隣に並ばれた。
朱い光を放ちはじめた彼方の雲に手を合わせたあと、
良い一年になりますようにと願いあった。
明るくやさしい元旦の朝だった。
朗らかな一年となりますように。
JUGEMテーマ:エッセイ
]]>消費という行為はセルフプロデュースだ。
何を買い、どう使っていくか、
その行為、過程のすべては自己表現だ。
たとえばフェアトレードによる商品を選ぶというような
日常生活のなかにもある意思表示なのだ。
これは消費者として、
カスタマーに向けての情報発信に携わる職業人として、
ずっと根底にある考えの一つだ。
先日、この考えを共にできる人たちに出会った。
廃棄処分となった波佐見焼きのアップサイクルに取り組んでいる女性たちだ。
彼女たちは、今年の夏、
廃材となった波佐見焼きをテラゾとしてアップサイクルする
プロジェクト”Utte”を立ち上げ、商品化に取り組んでおられる。
プロジェクトチームのメンバーは4人。
波佐見焼きの生地づくりと形成、絵付けに従事している
裏邊彩子さんと裏邊恵さん。
長崎県窯業試験場の研究員を務める石原靖世さん。
そして、このプロジェクトの発起人で、
オランダを拠点に活動するインテリアデザイナー
本村らん子さん、だ。
テラゾは500年以上前にイタリアで生まれた人工大理石。
砕いた大理石などの石材を
白色のコンクリートに混ぜて固めて表面を研磨した資材で、
艶やかで滑らかな質感はまさに人工大理石だ。
彼女たちのプロジェクト”Utte”は
廃材となった波佐見焼きを活用して、
波佐見生まれのテラゾを生むというものだ。
波佐見焼きは慶長4(1599)年、長崎県の波佐見の村で生まれた。
村で採掘した陶石を生地にして大きな登り窯で焼く波佐見焼きは
大量生産が可能な上に丈夫で、当時、高級品であった磁器を庶民に普及させた。
江戸時代、摂津の国(大阪)で、
淀川を往来する大型の船を相手に煮売りの小船が
「飯食らわんか」「酒食らわんか」と
売り声をあげて食べ物や飲み物を売っていた。
その売り声から、この小舟を”食らわんか船”と、
そこで使う器を”食らわんか碗”と呼ぶようになった。
この”食らわんか碗”には、揺れる船でも安定する厚手で重心が低い陶磁器である
長崎の波佐見焼き、愛知の砥部焼、大阪の古曽部焼が使われた。
そして割れにくく、素朴な絵付けを施した波佐見焼きは人々に好まれ、
庶民にも手の届く磁器として普及していった。
こうして波佐見焼きは、江戸時代から
日常生活のなかの磁器、食卓の器として愛され続け、
今も私たちの暮らしのなかに息づいている。
この波佐見焼きを新しいプロダクトとして
アップサイクルしようとしているのが、
彼女たちの”Utte"プロジェクトだ。
日常使いの磁器として愛される波佐見焼きは大量生産される。
その生産量に応じて欠品の数も少なくない。
ヒビが入っている、成形や絵付けに不具合があるなどではなく、
たとえば陶石の成分である鉄の色が小さなシミのように表れても
商社から返品されるものもある。
そして、欠品となった焼き物はすべて廃棄される。
釉薬をかけた磁器は土に返すことはできない。
山から採掘する陶石や大量の水。
生産過程で使った資源は、そのままゴミとして棄てられていく。
陶石を抱く山は採掘のごとに痩せていき、
廃棄処理場となった山では地盤沈下が起きている。
自然の恵みをいただいて物をつくる自分たちの行為が、自然を傷めている。
そんな思いを胸のどこかに抱えながら、職人たちは商品をつくり続けている。
陶石を採掘し、石を砕き、生地をつくり、成形し、
絵付けをし、釉薬をかけ、窯に入れ、焼き上げる。
自分たちが焼いた器を喜ぶ人たちがあって、その仕事は喜びを与えられる。
使われることなく、誰の喜びも受けることなく廃棄されていく器が自然を傷めるとき、
物づくりを愛し、物づくりに生きる人たちの心も痛んでいる。
そして波佐見焼きの職人たちの胸中には将来への不安もよぎっている。
山から採れる陶石は限りある資源だ。
それをただ廃棄物に変えていくサイクルをこのまま続けていっていいのか。
数百年の歴史をもつ波佐見の磁器づくりは産業として継続していけるのか。
そんな思いのなかから生まれたのが、
廃材となった波佐見焼きをアップサイクルするテラゾだ。
粉砕した陶片は、呉須(ゴス)と呼ばれる伝統的な染料の藍色、
若い感性による絵付けのカラフルな色、
そして成形に用いる石膏型の白と、色彩豊かだ。
研磨した面に表れる色模様は、
一度、磁器になった温かみを帯びて、やわらかい。
この波佐見生まれのテラゾを、
どう人の暮らしのなかに生かしていくのか。
これから、テラゾタイルをはじめ、
家具や雑貨などのプロダクトとして展開していく。
食卓から住空間全体へ、
アップサイクルによって波佐見焼きを
どんな風に人の暮らしのなかに届けていくのか。
生まれたばかりのプロジェクト”Utte”は可能性の模索中だ。
そしてもう一つ、この”Utte”プロジェクトには、
プロダクトを通じてメッセージを伝えるという願いがある。
「大量生産化社会は生産者がストップすれば解決する問題ではありません。
これは消費を促すビジネスや商社、また消費者一人一人に責任があり、
ものを作るということ、消費するという事に、
どれほどの意識を向けることができるのかが、
解決方法の糸口に繋がると私は信じています」
このメッセージ、この願いは、
消費はセルフプロデュースであり、自己表現だという考えと繋がっている。
このメッセージに記された思いを知ったとき、
現実に起こっていること、それについて思っていることを
淡々と話される言葉の一つひとつがなぜ浸みてきたのか、
このプロジェクトになぜ心惹かれたのか、腑に落ちた。
消費が破壊であるなら、私たちの未来はどうなるのだろう。
「地球は子孫からの借り物」
ずいぶんと昔、20代の頃に読んだ本で出会った言葉だ。
著者の名前も本のタイトルも思い出せないのだが、
この言葉だけが心に残っている。
インターネットで調べると、
ネイティブ・アメリカの言葉 ”We borrow it from our children.”だとあった。
消費という行為は、セルフプロデュースであり自己表現である。
自分がどんな人間でありたいのか、あろうとするのか。
消費という行為は、自分と向き合う機会だ。
友人にプレゼントを贈るとき、
その人は何が好きで、何を大切にし、何を喜ぶかを考える。
自分に向けても同じようにしてやる。
そうして、自分が喜ぶものを選んでいく。
現実の生活の中で、常にベストを手に入れられるわけではないが、
選ぶことをなおざりにしないことはできる。
選び、所有し、使い、そして破棄するところまで、
自分で選べる限り、その選択を放棄しない。
食卓の小さなお皿1枚、水を飲むグラス1個、箸1膳、箸置き1個、
そういう細やかな物を一つひとつ選んでいく。
そこから暮らしは変わっていく。
どんな人がどんな風に作り、どんな風に店先まで届けられたのか。
そういうことに、ほんの少し思いを寄せて、選んでいく。
生活のなかの、そんな細やかな自己表現が、
自分の暮らしを形づくっていくと同時に、
消費者と生産者と流通者たちがフラットに繋がり、
消費を破壊ではなく創造へと繋いでいく、
自分たちが暮らしていきたいと思う社会や環境をつくっていく
ひとつの糸口になるのではないだろうか。
そんなことを考えさせてくれた”Utte”というプロジェクト。
子孫に借りている地球に蒔いたその一粒の種が、
豊かに実っている明日を想う。
波佐見の山 (写真提供:"Utte" プロジェクトチーム)
instagram : utte_hasami
参考Website
◎波佐見陶磁器工業共同組合
http://www.hasamiyaki.or.jp/porserin/index.html
◎Wikipedia
JUGEMテーマ:エッセイ
]]>☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆
<コラム> 「安心して生んで老いていける町」への思い 1/2
施設から地域へ、を最大目標に障害者の自立支援をする
坪井絵理子さん<繋がるために>。
地域で暮らしはじめたら、施設の利用者ではなくなる。
それはもう彼女たち施設の支援の手を離れるということだ。
今までどおり、いざというときの手助けはできない。
してはならないのだ。
だから彼女は、地域の施設を訪ねて歩く、顔見知りになる。
もしも、地域に送り出した利用者が、自分たちの知らない間に
どこかの施設に戻ることになったとき、
その新しい施設と、古巣である自分たち施設に繋がりがあって
連携の可能性ができれば、自立への再挑戦の助けになる。
間接的に支援を続けられる。
だから、「繋がるために」できることをしている。
福祉法人とのご縁が生まれて間もなく伺ったこの話に、
福祉という仕事の本質を教えられたようだった。
障害者の就労支援をする北井陽子さん<囲いを打ち破る>。
彼女が障害者福祉の世界に入ったのは子育てを終えてから。
福祉のふの字も知らない自分に務まるのなら、
障害者の暮らしが垣根の向こうの特別なことではないという証明になる。
学生時代から胸にあったノーマライゼーションへの思いから、
授産施設の責任者として第2のキャリアをはじめた。
利用者と職員の、やってください、やってあげますの関係に違和を覚え、
職員は、利用者が自分でやるための伴走者という方針をたてた。
古参の職員たちの反発、利用者の家族からの不安の声に対話で応えた。
そして、北井さんの言うことなら、することなら信じていいという
関係をつくりあげた。
「福祉の仕事の魅力は、仕事をとおして人というものが好きになれること」。
いちばんの障害は人と人との隔てにあると、教えられた。
法人が運営する十数の施設の統括をしていた永棟真子さん
福祉施設の方と話すなかで、普段よりもよく耳にした人権という言葉。
「人権って何なんでしょう」と、
その重く、かたい言葉について彼女に訊ねてみた。
「ものごとを、自分の意思で決められることやん」と、
間髪入れずに返ってきた。
障害があってできないことがあれば、できるようなやり方を考える。
その知恵を絞る、工夫を重ねる。それが支援の仕事。
「すべて、当事者からはじまる」。
人は誰しも、何でもすべてができるわけではない。
できることと、できないことがある。
そのできることの質と量に違いがある。
そして、障害者はできることの範囲が著しく狭まっている。
狭まっている状況そのものが障害と言うべきか。
だから、当事者の立場に身を置いて、
選択肢を増やし、可能性を広げていく。
福祉の仕事とは、なんとクリエイティビティに溢れているのかと、
強く思った。
社会福祉協議会でのキャリアの後、
高齢者福祉施設を運営する法人本部の主任として働きはじめた
鈴木貴子さん<居場所をつむぐ>。
「それまで懸命に生きてきた人が、人生の最期をどう過ごすかの大切さ」。
地域福祉のあり方を整えていくマネジメントの分野から、
現場へと足の置き所を変えたとき、彼女の心のなかにあった思い。
それは人の尊厳への思いだ。
そしてこの思いは、採用担当者として施設の中の人たちへも向けられる。
採用した人たちの居場所をつくる、「人から人へ」の人事。
人と人が信頼しあう職場の環境はそのまま
利用者さんが暮らす環境に結びついていく。
「人から人へ」繋がっていく思いやり、あたたかさ。
原稿を書きながら、人事は、福祉そのものだと思った。
人がそこにいることを喜べる環境をつくる。
これは一般企業においても同じことではないか。
人事部門は組織のなかの福祉部門だったのかと。
福祉は特別な場所にあるのではないという言葉に、
新しい意味を見つけた瞬間だった。
明治、大正、昭和にかけて大阪の社会事業を牽引してきた
中村三徳さんが設立した社会福祉法人の
第5代理事長を務める荒井恵一さん<社会のインフラとして>。
福祉施設から福祉事業へと、言葉を変えてはどうだろうか。
施設という言葉が自分たちの仕事を
建物のなかに閉じ込めているのではないか。
福祉とは本来、地域のなかにあるものだ。
施設は福祉事業を行うためのステーションである。
何かあったらとりあえず、ちょっと話聞いてくれるかと、
下駄履きで来られる場所が地域のなかの施設の役割。
その考えを象徴する、
福祉は「社会のインフラ」という荒井さんの言葉。
福祉とは無関係だと思いながら暮らしている日常は
福祉というセイフティネットのうえに安んじていると。
安心して生んで老いていける町、という言葉の種が
心に芽生えたときだった。
昭和のはじめ、保育所と幼稚園がいっしょになった
福祉的幼稚園を創設した比嘉正子さんの心を承継する
渡久地歌子さん<安心して生んで老いていける町>。
0歳から5歳、三つ子の魂が育つ時期は
子どもたちの将来の礎になる。
その可能性を広げる機会を子どもたちに提供する。
「どうこうあろうと子どもたちは平等だ」と、
子どもたちが機会の平等を得るための館をつくる。
保育を軸に地域共同体を築いてきた創設者の心を生きるように
承継した事業を育ててきた渡久地さん。
医療と福祉の町というコンセプトによる町づくりの一翼を担い、
保育と高齢者福祉を地域で展開している。
そして法人が運営する施設には
子どもを真ん中に町の人たちが集まっている。
「安心して生んで老いていける町」の姿がここにあると思った。
お一人おひとりの出会いに、福祉というものを教えられた。
仕事で福祉法人とのご縁が生まれたとき、
福祉のことを学びたいと思った。
福祉の姿、福祉の心をすこしで知りたいと思った。
高齢化する親、その次にくる自分の高齢化、
友人たち、そして自分自身にもそう遠いできことではない
福祉への関心もあった。
福祉の現場で生きる人たちのストーリーを書いてみたいと思った。
その思いを受けとめてくださった方々のおかげで、
このルポルタージュ「日々を織る」を書き進めてこられた。
6名の方のストーリーを合わせると、13万文字を越える。
話してくださった心に近づけているだろうか、
その思いをちゃんと汲み取っているだろうか、
その方の人柄を表せているだろうか。
そう思いながら言葉を選んで記す一文字ひと文字が、
福祉の姿、福祉の心を教えてくれた。
自分なりの考え方というものを養ってくれたと思う。
できることを見つけて、一つ一つ、行い続けていく。
それはまさしく、日々を織ることだ。
伴走者として、相対する人に目を凝らし、耳を傾けて、
急かさず、焦らず、止まることなく、今日という日を重ねていく。
そして、その先へと眼差しをむけて動き続ける。
高い専門性の知識と技術、経験、そして何よりの福祉の心。
福祉が町の真ん中にあれば、人は安心して生んで老いていける。
医療と福祉の町というコンセプトによる町づくりの一翼を
福祉法人が担っているという話は、
まさしく安心して生んで老いていける町を育てていくというものだった。
そう、地域の人たちが一緒に町を育てていく。
その中心に、福祉の専門家たちがいる。
確かな理論を、福祉の心で実践してきた人たちの知識と技術が
人と人を繋ぐ真ん中にある。
思えば、福祉事業は社会事業だ。
人が豊かに暮らせる社会の姿を考え、築いていく事業だ。
町づくりを考えるとき、そこに社会福祉が真ん中にあるのは
しごく真っ当なことなのだ。
安心して生んで老いていける町。
コロナウイルス感染症のパンデミックで生活様式が激変した。
with コロナ、after コロナの新しい暮らし方という言葉が生まれた。
一人ひとりの新しい暮らし方は、新しい社会の姿だ。
これからの社会は、どんな価値観を持つのか、
どんな風に人の暮らしのあり方を見つめていくのか。
社会が変化していこうとする今、
人の暮らしを考える社会福祉を真ん中に町の姿を考えていく
安心して生んで老いていける町という言葉が
いっそう強く胸に響いている。
インタビューに応えてくださった方。
インタビューの実現に力を貸してくださった方。
ありがとうございました。
安心して生んで老いていける町という一つの思いを得て、
この「日々を織る」を完結とします。
お読みくださった方々。
そして記事をシェアしてくださった方々。
ありがとうございました。
そしてもう一度、お話くださった方々へ、
ありがとうございました。
言葉に尽くせない感謝でいっぱいです。
筆者 井上昌子(フランセ) 2021.11.4
JUGEMテーマ:社会福祉
]]>☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆
<コラム> 「安心して生んで老いていける町」への思い 1/2
都島友の会さんに伺ったのは別件の取材のためだった。
2015年にスタートした「子ども・子育て支援新制度」下での
「幼保連携型認定こども園の現状と課題」について、
というのがそのテーマだった。
都島友の会さんをご紹介くださった方から、
創設者の比嘉正子という人物は、
日本の保育の草分けであると同時に、
日本の消費者運動の生みの親だと伺っていた。
保育と消費者運動、というのが、
その時には自分のなかで結びつかなかった。
そして、取材のための取材をすれば、
それだけで、ちょっとした原稿が書けそうなほどの情報が集まった。
待ち遠しかったインタビューの日、
ご用意くださっていた文献資料や施設を拝見しながら、
5時間を越える長い取材になった。
そして、それではとうてい時間が足りないほどの
比嘉正子さんと都島友の会さんの物語。
揺りかごから墓場まで。
保育を真ん中に、誰もが明るく楽しく暮らせるような環境をつくる。
そして彼女が蒔いた一粒の種が、90年の時を経た今、
承継者によって育ち続けている。
二代、三代にわたって、園児として子どもたちが通う。
1931年の最初の園児が、最期の時を過ごしたいと
またここに戻ってきた。
町の人たちが子どもたちを見守り、
高齢になったその人たちを地域で見守る。
それはまさに「安心して生んで老いていける町」だった。
福祉法人とのご縁が生まれてブランディングのお手伝いをするようになり、
このルポルタージュ「日々を織る」を書きはじめた。
障害者、高齢者、母子、保育、幼児教育、学童、在宅福祉、地域福祉。
高い専門性と経験をもつ方たちのお話を伺うに連れ、
福祉というものの大きさを知った。
特別なところにあると思っていた福祉という分野が
じつは町の人々の日常を支えているものだと分かるようになってきた。
そして、その思いのなかから
「安心して生んで老いていける町」という言葉が浮かんできた。
このルポルタージュ「日々を織る」で
都島友の会さんのストーリーを書かせていただきたいと思った。
そもそもの取材のきっかけだった
「幼保連携型認定こども園の現状と課題」という企画は
編集サイドの都合で流れた。
仕事が消えて、取材の記録が残った。
そして何より、書きたいという強い思いが残った。
自腹を切っての取材となったことは、自由を得たことだった。
事前取材とインタビューの記録、いただいた資料をもとに
「安心して生んで老いていける町」というタイトルで書き始めた。
最初の3節、六千文字ほどを書きあげたところで、
この「日々を織る」で書かせていただきたいと、
趣旨と原稿を、都島友の会さんにお送りしてお願いした。
ご快諾をいただいた。
長い原稿のたびたびのチェック、追加の取材、写真の使用許可、
知りたいと思うことを存分に教えていただいた。
取材の記録を読み込み、書き進めるなかで、たびたび、
これまでの5つのストーリーをお話いただいた5人の方の言葉が思い出された。
すべてが自分のなかで繋がっていった。
自分たちができることを見つけて、一つずつ実現していく。
その積み重ねが、地域の人の生活を支えていく。
「安心して生んで老いていける町」への思いが、そこにあった。
誰もが選択肢をもって生きていける、
自分の生活を自分の意思でつくっていく。
年齢、障害、家庭の事情、誰もが抱える様々な事情。
その事情が個人の力で手に負えなくなったときに支える存在。
それが、地域に根づいた福祉だ。
そして、それは垣根の向こうの特別なものでもない。
たとえば今わたしは、白湯を飲みながらこの原稿を書いている。
この白湯を、わたしは自分の力だけで手にできない。
このひと口は、どれだけの人の世話になって手にしているものかと、
この文章を書いていて、そう思う。
「社会のインフラとして」という荒井恵一さんの言葉が浮かんでくる。
福祉は社会のインフラのひとつ。
それがあるから、人は安心して日々を暮らせる。
福祉の仕事というのは、
なんてクリエイティブでダイナミックなのだろうか。
福祉法人、福祉施設のブランディング、
そして、この「日々を織る」の取材と執筆を通じて
感じ続けてきたことだ。
一人ひとりの当事者の生活を楽しく豊かにするための工夫。
ささやかな気づきから、一人の人の生活、
もっと言えば人生が大きく変わったエピソードに
鳥肌が立ったことは一度や二度ではなかった。
目の前にいる人に目を凝らし、耳を澄ませて、
その人の毎日の生活をより明るく楽しいものにしたいと
心をくだき、知恵をしぼり、工夫をする。
福祉の現場の仕事はクリエイティビティに溢れている。
そしてそのクリエイティビティは、
町の姿を変え、制度を動かしていく力になる。
「制度が現場を動かすんやない、現場が制度を動かすんや」
ある施設の長から伺った言葉だ。
制度にあるとかないとかの前に、目の前にいる人が困っているならば、
その困りごとを何とかするために、できることをする、やり続ける。
そしてそれが必要なことだと世の中に認められたら、
その時には制度になる、と。
この言葉どおりに地域のために力を尽くし続けた方が、
今の私たちの施設の土台を固めてくれたと。
比嘉正子さんについて、
保育の草分けと消費者運動の生みの親という二つの側面が
最初は結びつかなかった。
しかし取材を重ね、資料を読み込んでいくなかで、
この二つがぴたりと重なった。
子どもたちの生活、子どもたちの生命を守るには、
衣食住の環境を整えることが肝要だ。
だから彼女は動いた。
そしてやがて、政財界から意見を求められ、提言するようになった。
子どもを守るという思いは、
その子たちの家庭、地域、そして社会の環境を整えていくことへと
広がっていった。
生活者の視点から町の姿をつくり、社会のあり方を変えていく。
福祉事業とはなんとダイナミックなのだろう。
このクリエイティビティとダイナミズムをもつ福祉事業、福祉施設が
地域の真ん中にある。
福祉を真ん中に育っていく町。
それが、「安心して生んで老いていける町」だ。
筆者 井上昌子(フランセ)
JUGEMテーマ:社会福祉
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