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ぱんせどフランセ

思いつくまま、たまに仕事のことなども。

福祉の現場に生きる人たちへのインタビューをもとに書いた
ルポルタージュ「日々を織る」も連載しています。
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わらしべ長者的。
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    陳腐に思える常套句というものがある。

     

    たとえば…「信じた私が馬鹿だった」

     

    信頼しきっていた人が、

    実はそうも信頼に値する人ではなかったと

    ふと気づいた時のやるせなさ。

    腹が立つというのは、とうに通り越して、

    自分が哀しくて、やりきれなくて、

    心にも体にも力が入らない。

     

    そういう経験というのは、

    とりたてて珍しいことではないと思う。

     

    ただ、一度ならず二度、三度…となると、

    何なんだ、君はっ、と

    自分を自分の前に座らせて

    その学習能力の低さに、

    説教始めたいくらいだよ、と

    自分の心に目を凝らす。

     

    …とまあ、

    そんな感じでぼーっとしていると、

     

    でもなあ、「ワタシを信じろ」と

    強要されたわけではないんだよなあ。

    まあ、こっちが勝手に信じたんだよなあ。

     

    という心の声が。

     

    なるほどねえ。

    自分でしたことじゃないか。

     

    ごく当たり前のことに気づいただけなんだけど、

    自分的には目から鱗です。

    視野がさーっと開けて行く感じで、

    力が戻ってきました。

     

    で、続いて浮かんだ言葉が、

     

    「信じた私が馬鹿だった」

     

    これまた、目から鱗でした。

     

    言い古されて、

    陳腐な感じもするこの常套句が、

    挙げ句の果ても、尽き果てた、

    とどのつまりの結論じゃないかと。

     

    たぶん、今までだったら

    使うのを躊躇していただろうこの言葉への感覚が、

    パッと変わりました。

     

    ウラミでもツラミでもなく。

    自分を卑下するわけでもなく。

    ただ、それだけのこと、という。

     

    受け容れて、手放せというような、

    潔さをもった言葉としての、

    実体が、自分のなかに生まれました。

    言葉に息吹を与えられたとでも言いましょうか。

     

    これで、この常套句は、私にとって、

    使い古された常套句ではなくなりました。

    新しい言葉を得た喜びで、上機嫌です。

     

    出たっ、わらしべ長者。

     

    バカも案外、いいかもよ。

     

     

    JUGEMテーマ:エッセイ
     

    | 言葉の話 | 07:48 | comments(0) | trackbacks(0) |









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