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ぱんせどフランセ

思いつくまま、たまに仕事のことなども。

福祉の現場に生きる人たちへのインタビューをもとに書いた
ルポルタージュ「日々を織る」も連載しています。
<< 社会のインフラとして vol.12|日々を織る | main | <コラム>高齢を生きるということ|日々を織る。 >>
<コラム> 気づくということ | 日々を織る。
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    ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

     

     

    <コラム> 気づくということ

     

     

    自分の暮らしを整えるための

    一つのサービスとして福祉を使いこなす。

     

    自分だけの力ではうまく解決できないことを

    何とかしていくために力を貸してくれるのが、

    福祉というサービスだと、

    このルポルタージュ「日々を織る」を書くことで

    そんな考えが生まれてきた。

    福祉というものは垣根の向こうにある

    特別なこと、もの、ではなく、

    自分の生活の延長線上にあるのだと

    そういう考え方をするようになった。

    ただ、そんな風に考えるようになったことと、

    その福祉というサービスを使いこなせるように

    なることは別物だ。

     

    福祉は自分の生活を整えるための

    一つのサービスとしてある。

    そう思うようになったとはいえ、

    どう使っていいのかが分からない。

    まず、今、そのサービスを使うのかどうかの

    見極めすらできない。

    自分が福祉のサービスを使うほど

    困っているのかどうかが分からない。

    もっと言葉を進めれば、

    自分が困っている、困った状況にあると

    自覚することは存外、難しい。

     

    昨年の暮れ、母が体調を崩した。

    12月に入って間もなく具合が悪くなり

    救急病院に駆け込んだ。

    ERでの検査に3時間近く、

    それから専門科の医師に委ねられて

    緊急手術が必要かどうかを見極める検査に1時間以上。

    日曜日の病院の薄寒い廊下で、

    母が着てきた衣服と靴が入ったポリ袋と

    並んで座って待つ時間は長かった。

     

    後期高齢者になって、昔と比べれば足が遅くなり、

    台所仕事一つひとつにも時間がかかるようになり、

    同じ事を何度も繰り返して聞くようになり、

    一晩二晩の夜更かしが一週間ほど尾を引くようになりと、

    寄る年波を感じることしきりではあるものの、

    病院に足を運ぶのは、年に1度、

    インフルエンザの予防接種程度と

    総じて健康であったから

    入院、手術というのは青天の霹靂だった。

     

    入院して数日後に、やはり手術ということになった。

    体力が衰えた状態での手術には懸念があった。

    検査や手術の影響で、これから先、

    新たな疾患を抱える可能性も覚悟の上だった。

    体調を崩してから1週間ほど、

    病院に行くのを嫌がる本人の気もちに任せていたこと、

    栄養補給の点滴だけでも無理強いしていたら

    状況は違っていたかもしれないと、

    日ごろの親の健康に過信していたことを悔やんだ。

     

    おかげさまで手術後の経過は順調で

    心配はすべて、もしかしたらの話ですんだ。

    もとどおり健康になり、

    いつもどおりの日常生活が戻ってきた。

     

    入院時は起床時間を早めて

    家事と仕事をすませて母に会いに行くのを日課に加えた。

    その日の話を聞きながら、1時間から2時間、

    手足のマッサージを行った。

    高齢になって、ひと月近く病床で過ごすことで

    足腰が衰えるのは目に見えていた。

    手指の力が弱くなることも想像できた。

    しばらく休んだら、またしっかり動いてねと

    身体に話しかけるような気もちだった。

    退院してからひと月あまりは、

    体調管理と栄養管理、そしてリハビリに

    注げるだけの時間とエネルギーを注いだ。

    母が調子を崩してから2か月ほど

    自分のことを考えるゆとりのない毎日だった。

     

    身の回りのことはすべて自分でできるようになり、

    負担がかかりすぎない範囲で家のこともできるようになり、

    母の自立した日常生活が戻ってから

    あの2か月間を振り返って、ふと、

    自分は困っていたのだろうかと考えたことがある。

     

    薄寒い廊下で母の検査が終わるのを

    ぽつねんと待っていたあの時、

    自分で驚くほど心は平静だった気がする。

    ただ、その平静さが不自然な気もして、

    友だちの一人にLINEしてみた。

    返ってきた「側にいようか? すぐに行けるよ」という

    ひと言に、平静さの下にある波立ちを見つけた気もする。

    心細さや不安といった感情。

    平静ではあったけれど、夜、眠れなかったので

    心細さや不安はずっと心のどこかにあったのだと思う。

    でもそれは困ったというのとは違っていた。

    そして、ふと、人はどれくらいの状況で

    自分は困っていると思うのだろうかと考えた。

     

    友人や知人との間で

    親の高齢化について話すことが多くなった。

    体力、記憶力、判断力などの衰えについて、

    いかに健康に暮らしてもらうかについて、

    仕事や趣味のことと同じように話すようになった。

    中には、仕事を変えたり、辞めたりして

    親の介護を自分の生活の中心に置いた人もいる。

    そんな自分たちのことから書き始めたのが

    このルポルタージュ「日々を織る」だ。

     

    今ある普段の暮らしは、

    親の高齢化と一緒に必ず変わっていく。

    持病と認知症を抱えた両親の介護を一人で引き受けて、

    ある日、突然感情の抑制がきかなくなって

    人前で泣き叫んだいう知人もいた。

    その話は、けして他人事ではなく

    自分にも起こりうることだ。

    そんな時、自分はどうするのだろうか、

    どうしたらいいのだろうか。

    どうすればいいかを、どうやって知るのだろうか。

    上手に、助けを求め、得ることができるのだろうか。

     

    ある日、感情の抑制がきかなくなった知人が

    大声で叫んだ言葉は「誰も助けてくれない」だった。

    今日、目の前にあることを何とかする。

    今日、目の前にあることくらいは何とかできる。

    自分で何とかできる。

    そうやって過ごす日々の中で

    彼女はいったいどれくらい自分が困っていると

    感じていたのだろうか。

     

    あの病院の廊下で一人ぽつねんと座っていた時の気もち。

    今、しなければならないこと、今、自分にできることを考え、

    よし、大丈夫と状況をコントロールする。

    自分のことを思うことなく今日一日を何とかしていくことが

    彼女の普段の暮らしのあり方になり、しんどさを感じても、

    それが誰かに相談をして解決策を見つけていく

    困りごとだとは思ってはいなかったのではないだろうか。

    自分がしっかりしていれば、自分が元気であれば、

    自分ががんばれば、何とかできる。

    何とかできている自分を困っている人として

    見ることはしなかった。

    そしてそのまま、自分を追い詰めていった。

    そんなことだったのかなと彼女の気持ちを思いを馳せて、

    彼女の話にただ相づちを打ち、耳を傾けていた時よりも

    胸が痛くなった。

     

    この「日々を織る」を書き始めてから1年半ほど、

    福祉のサービスは困りごとに気づく事から

    始まるものなのだと思うようになった。

    福祉の専門家であるサービスの提供者が

    支援を必要としている人に気づく。

    そして当の本人が困っていることに気づく。

    福祉のサービスが必要とする人に行き届くことを考える時、

    どうしても提供者の気づく力に目がいきがちだが、

    肝心の当人に困っているという感覚がなければ

    サービスは生かされない。

    福祉事業のサービスも、

    世の中のあらゆる事業のサービスや商品と同じだ。

    利用する当人がその必要性を認めなければ

    それが生かされる機会はない。

     

    母親の介護という体験で、

    このルポルタージュを通じて考えてきた

    いろいろなことが生々しい自分ごととなり、

    福祉を自分の生活を整えるためのサービスの一つとして

    使いこなしていくための

    気づく力というものについてあらためて考え始めている。

     

     

     

               筆者 井上 昌子(フランセ)

     

     

               次回 コラム「高齢を生きるということ」へ

     

     

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