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ぱんせどフランセ

思いつくまま、たまに仕事のことなども。

福祉の現場に生きる人たちへのインタビューをもとに書いた
ルポルタージュ「日々を織る」も連載しています。
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<コラム>障害の両サイド|日々を織る
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    ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

     

     

    <コラム> 障害の両サイド

      

    今年、2018年の2月のはじめに、

    注意集中や落ち着きに困難のある

    ADHA:注意欠如多動性障害や、

    対人関係やコミュニケーションに関する困難のある

    ASD:自閉症スペクトラムといった

    発達障害の当事者の話を聞く機会があった。

     

    たとえば、子どものころ、

    どうしてそんなに物を

    忘れたり失くしたりするのか、

    いったいどうして

    そんなに注意力に欠けているのかと

    親や教師に叱られるたび、

    それが分かれば自分でも

    もっとちゃんとできていると思っていたこと。

     

    失敗について、

    どうしてそうなのだと言われて

    自分なりに理由を考え説明を始めたら、

    口答えをするなとよけいに叱られ、

    聞かれたから話して

    どうしてまた叱られるのか困惑したこと。

    どうして?という言葉には

    理由を糺すほか、叱責の意味もあることを

    少しずつ理解して覚えていったこと。

     

    そんな困惑を繰り返しながら

    人との接し方や

    コミュニケーションのとり方を

    他の人よりも時間をかけて

    少しずつ身につけてきたと。

     

    発達障害の当事者というその人の体験は、

    自分にも身に覚えのあることだと思い、

    それが、何かしらの障害と名づけられるか

    下手や苦手と言われるかの境目は、

    いったいどこにあるのだろうかと思った。

     

    ちょっと話を聞いて、

    そういう出来事は自分だって経験している、

    身に覚えがあるからといって、

    相手の困りごとや悩みの高を

    小さく見積もってはならない。

    違いを垣根にしないことと

    違いを小さく見積もることは、きっと違う。

     

    当時者や当時者の家族、福祉関係者、研究者と、

    発達障害についての理解を促す講演が続くなか、

    1本の動画が流れた。

    聴覚過敏をテーマにしているものだった。

     

    たとえば食器が触れ合う音や

    水を流す音、ドアの開け閉めの音、

    車のクラクション、子どもの声など、

    その人それぞれに

    特定の音声や、予期せぬ音に

    ひどく敏感に反応する症状だそうで、

    動画を見ている人に、

    その音の世界を疑似体験させる場面があった。

     

    動画に出演する当時者の一人が

    車の行き交う交差点で、

    過剰に聞こえる音を遮断するためにつけていた

    音楽プレイヤーのイヤホンを外したとたん、

    会場にいた私たちの耳に

    ひっきりなしに通る車の音をはじめ

    町の騒音が大音量で飛び込んで来た。

    そしてその当時者である女性と一緒にいた人が

    彼女に話しかけた時、

    話しかけた人の話し声が背景の騒音に

    みごとに溶け込んで聞き取れなかった。

     

    これが、その時、私たちが疑似体験した

    人の声と周囲の音とを聞き分けることが

    難しい当時者の聴覚の状態だった。

     

    聴覚過敏という障害のない私たちは、

    普段、雑多な音声の中で人の声をキャッチする。

    さらに、大勢の人の声がある場合、

    自分が意識を向けた人の声をキャッチしようとする。

    そういう風に、無意識のうちに

    自分が聞こうとする人の声と周囲の声を

    聞き分けている。

    ところが発達障害の症状の一つとして

    この人の声を切り分けて聞き取りづらいということが

    起こるのだそうだ。

     

    イヤホンなどで耳を塞いでおかなければ

    頭の中をかき回されるような音量での騒音。

    そしてそれらの音と渾然一体となって

    入ってくる人の声。

    頭の中をザラザラジャギジャギと掻き回す騒音。

    そこに音の断片として紛れ込んだ人の声は

    言葉としての意味をなさない。

    不快さと、もどかしさ、苛立たしさ。

     

    そうか、こんな風に聞こえているのかと

    ほんの数分の体験だったが、

    その不便さへの想像力が芽生えた。

    そして、いかに今まで、

    障害についての想像力が希薄であったかに気づいた。

     

    障害は、生活の中にある環境と人との間の不具合。

    その不具合がどれほど生きづらさに結びついていくのかが

    障害の度合いなんだろうと。

    そして、その不具合を自分の力で何とかできずに

    困っている人を支援していくのが福祉の役割の一つ。

    このルポルタージュ「日々を織る」を書き始めて

    障害についてそんな風に考えてきた。

    いわば、障害は当時者と環境との間にあるもの。

    そんな風に考えてきた。

     

    それが、この度、この疑似体験のおかげで

    当時者の感覚への想像力が芽生えた瞬間、

    自分の側にある障害について思いが至った。

     

    相手がどんな風に困っているのか。

    そこへの想像力の欠如は、

    明らかに理解への障害になる。

    障害者という言葉に、

    つい障害は当時者と環境との間にあるものと

    思いこんできたけれど、

    実は、こちら側の通り道にも障害はあったのだ。

     

    障害は、両サイドにある。

    そのことに、やっと、気づいた。

     

    「この仕事を始めてから、

     “ふつう”って何やろ、と思うようになりました。

     自分にとっての“ふつう”と相手の“ふつう”は違う。

     “ふつう”って人それぞれなんやなと」

     

    これは、このルポルタージュに登場していただいた一人目の

    坪井絵理子さんから聞いた言葉だ。

    その話をしていた時、なるほどな、と思っていたが、

    この『障害は、両サイドにある』と気づいた時、

    思わず、膝を打つような感覚で

    坪井さんのこの言葉を思い出した。

     

    分かることへの困難。

    その理由は、言葉にして伝えることが難しい

    相手の側にだけあるのではなく、

    言葉だけで伝えきれない相手の側にだけあるのではなく、

    受けとめる側にもある。

     

    障害は、両サイドにある。

    そしてその両サイドの片側に自分が立っている。

    このことに思いが至ったことで

    心というか頭というか、

    自分のあり方の何かが、やわらかくなった気がする。

     

     

               筆者 井上 昌子(フランセ)

     

     

                次回 「居場所をつむぐ。 Vol.1」へ

     

     

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