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ぱんせどフランセ

思いつくまま、たまに仕事のことなども。

福祉の現場に生きる人たちへのインタビューをもとに書いた
ルポルタージュ「日々を織る」も連載しています。
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<コラム>普段着の福祉|「日々を織る」
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    ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

     

    <コラム> 普段着の福祉

     

     

    親が、舗道の敷石の、ほんの小さな段差につまづいて転んだ、

    話す時、ゆっくり大きな声を心がけるようになった、

    手渡すメモの字を、濃く大きく記すようになった、

    台所の高い棚から低い棚へとモノを置き替えた、

    親が使う瓶の蓋を、ほんの少し緩めに締めておくようになった。

     

    日常生活に、小さな変化が起こってくる。

    気がついたら、

    自分の親もずいぶんと年をとっていたのだ。

     

    40代、50代、60代の友人たちとの会話の端に

    のぼるようになった、

    高齢化する親と生きていくという

    抗いようのない現実。

     

    ほんの何日間か、

    身体のどこかに痛みや不調を訴えて

    寝込んだ親の世話をしているだけで

    日々の暮らしにかかる負担が増える。

    時間的に、体力的に、やがて精神的に。

    こういう状況が、

    日常として継続したらどうなるのだろうか。

    そう、日常として継続したらどうなるのだろうか。

     

    そのいつか来るだろう現実を想像すると、

    大変だろうなあという思いと、

    やっていけるだろうかという不安が、

    胸をよぎる。

     

    そんな不安に、支えになりそうな言葉があった。

    福祉の現場で支援を続ける人たちに聞いたかけ声、

    「一人にしない、一人にならない」。

    そのかけ声が意味するところ、

    そのかけ声のもと重ねられている

    日々のあり方を知りたいと、

    誰も「一人にしない、一人にならない」環境づくりに

    力を尽くしている人たちの話に耳を傾け

    書き始めたルポルタージュ「日々を織る」

     

    福祉の現場で支援を続ける人たちへの

    インタビューを通して、

    書くことを通して、

    少しずつ自分のなかに、自分なりに思う

    福祉の姿が見えてきた。

     

    それは、

    普段の暮らしの中で感じる生きづらさを

    軽減していく、

    その人その人の個性や体力に合わせて

    日々の生活を、すこしでも負担なく過ごせるように、

    暮らしていく環境と人との間の不具合を整えていく。

    そういうことだと思うようになった。

     

    たとえば、家の中の小さな改造。

    親の高齢化に合わせて、

    家の床からできるかぎり段差を無くしたり、

    段差の近くには手すりをつけたり。

    そうやって転倒を防ぐ。

     

    実際、転倒による骨折から

    寝たきりの生活がはじまったり、

    骨折は完治したものの、治療中の足腰の弱りから

    歩く力が衰えたり、

    その影響で認知力が低下したり。

    そういうことが、友人知人の間でも起こっている。

     

    ちょっと転んだ。

    たったそれだけのことが、

    その後の、本人と家族の生活を変えてしまう。

    そうなるきっかけを減らしていく、

    そして、そうなった時、その生活の負担を、

    少しでも軽くしようとするのが

    福祉というものなのだと思うようになった。

     

    小さな段差を平らかにしていく。

    福祉というものの実体というか、

    具体的な姿というかは、

    そういう暮らしの中の細かなところにある。

    そう考える時、決まって思い出すことがある。

     

    イギリス、フランス、スイスの町を

    一人で気ままに歩き回る旅をしていた

    20代前半の、ずいぶん昔のこと。

    路面電車やバスの停留所で、

    車椅子の人と一緒に並ぶことが珍しくなかった。

    そのほとんどの人が付き添いなしの単身で、

    乗り物の到着を待っていた。

     

    自分より先にいた人の顔を覚えておいて

    その人たちを待って乗りさえすれば、

    もうそれで待っていた順番どおりなのだから、

    わざわざ列を作らなくてもいいのだという

    自由なカタチの人の群れ。

    到着した乗り物に、一人また一人と乗り込んでいく。

    車椅子の人も、その人の流れの中で自然に

    乗り物に乗り込んでいく。

    扉が自動で開くと同時に

    そこから路面へとスロープが降りてくるので、

    何の滞りもないのだ。

     

    運転手や車掌がスロープを作る板を持って

    乗り降りを手伝うこともなく、

    車椅子の人も、他の乗客と同じように

    乗り降りをする光景。

    最初の滞在先のイギリスの郊外の町で

    始めて見たその光景は、私の目に新鮮だった。

    その日、イギリスでの数週間、

    滞在していた家の人にそのことを話したら

    こんな言葉が返ってきた。

     

    「一人で乗り降りできるように整備しておけば、

     車椅子の人だって、自分で出かけられる。

     いちいち誰かにお願いしたり、

     礼を言ったりしなくても、一人で行動できる」

     

    一人で自由に行動できるから、

    人は、行動が億劫にならない、と、

    その後、そんな風にその人との会話が

    進んでいったように覚えている。

     

    車椅子、乳母車、自転車。

    車体と路面の大きな段差をなくすことで

    お年寄りも子どもも乗り降りがしやすい。

    色々な人が、自由に、自分で行動できる。

    あの自動スロープは、皆が便利になるものなのだと、

    そんな風にも話が進んでいったとも覚えている。

     

    これが、私にとって、福祉という考えとの

    始めての出会いだったように思う。

     

    誰もが、自分の意思と希望にそって

    自由に、自分一人で、行動することが叶う。

    その理想に向けて、環境を整えていく。

    このルポルタージュを書きながら思う福祉の姿が

    あの路面電車やバス乗り場での

    一場面にあったのだと思う。

     

    もう少し、旅の途中の記憶を広げれば

    ショッピングモールの入り口で、

    車椅子の男性が「お先にどうぞ」 と笑顔で

    私に道を譲ってくれたこともあった。

    レディファーストのその親切を、私は

    素直に気もちよく、受け取った。

     

    “After you.”

    “Thank you.”

    “Not at all.”

    “Have a nice day.”

    “You too.”

     

    ショッピングモールの入り口での、

    あの和やかなやりとり。

    道を譲ってくれた男性にとっても、

    道を譲ってもらった私にとっても、

    さりげなく、ささやかで、

    でもその後の数時間、その日1日を

    気分よくしてくれた短い出来事。

     

    誰かに、いちいちお願いしたり、

    礼を言ったりせずに、自分一人で行動できる。

    その自由が、あの時を作ってくれたのだ。

     

    その後、日本に戻ってしばらく後、

    友人と2人で道を歩いていて、

    地下鉄の出入り口に設えたエレベーターの前で

    困った様子の車椅子の男性に出会った。

    地下の通路へ続くエレベーターはあるのだが、

    エレベーターを呼ぶ押しボタンが

    車椅子に座ったままで届く位置についていなかったのだ。

     

    通りすがりの私たちに、男性は

    「すみません、ボタンを押してもらえますか」と頼み、

    「ありがとうございました」と礼を言って、

    そのエレベーターを使った。

    エレベーターを降りる時は大丈夫だろうかと、

    3人でエレベーター内のボタンの位置を確認し、

    大丈夫ですねと言った時にも、

    ありがとうございます、手間をかけて申し訳ないと

    男性は、頭を下げた。

     

    車椅子の男性に、ドアの入り口で

    お先にどうぞと道を譲ってもらった

    あの小さな出来事と真反対の居心地の悪さだった。

    そして、その時私には、

    車椅子のピクトグラフ(絵文字)を掲げた

    あのエレベーターは、

    車椅子の人と一緒にいる誰かのためのものに思えた。

    車椅子に乗った人が、

    自分一人で自由に乗り降りする姿を想像してではなく、

    付き添う誰かがボタンを押している姿を考えて

    作られたボタンに思えた。

     

    ほんの数センチ。

    あのボタンの位置のほんの数センチの違いが、

    誰もが、可能な限り、

    自分の意思と、自分の希望にそって、

    自分一人で行動できる環境で、

    人って、暮らしていきたいよねという考えが、

    どれくらい人々の普段の生活の中にあるかどうかの

    違いではないだろうか。

     

    その、細やかなことを積み重ねていくことの

    大変さは分かる。

    大きなビジョンを実現するための細部の積み重ねが

    どれほどエネルギーを要することかは、

    仕事を続けてきた中で、いやというほど味わってもいる。

     

    だから、環境と人との間にある不具合を調整し、

    生活の中の生きづらさを軽減しようと

    福祉の現場で支援を続ける人たちの

    姿や言葉が、胸に、腹に響いてくるのだ。

     

    小さな段差を平らにしていく。

    そんな身近で細やかな環境の調整が、

    大河の一滴のような。

    福祉を、暮らしているすべての人を包む

    大河と喩えるならば、その細やかな環境の調整が、

    大河の一滴のように思う。

    その小さな一滴一滴がなければ、

    大河はけして流れることはない。

     

    このルポルタージュを書きながら、

    福祉は、普段の暮らしと一続きの道の先で、

    重ねていく日々を見守ってくれているようなものだと

    感じるようになった。

     

    小さな段差を平らかにする。

    そして、その平らかさに誰も気づかず、

    皆が何気なく、そこを通り過ぎていく。

    あの、車椅子の男性に道を譲ってもらった時のような、

    軽やかさと、心地よさをもって。

     

    何がコワいって、

    親が転んで骨折するのが、ほんとうにコワい。

    高齢化する親と生きている

    40代、50代、60代の友だちと会話で、

    これもよく出る言葉。

    それが自分の日常に、普段の暮らしに、

    どんな影響を及ぼすかを考えて、

    軽く言いながらも、皆けっこう本気で怖がっている。

     

    福祉が、特別なことではなく、

    普段着みたいに、自分の暮らしの中にあるって

    なんて心強いことだろうと、今、そう思う。

     

     

    筆者 井上昌子(フランセ)

     

     

            次回  「選択肢を増やし、世界を広げる Vol.1」

     

     

    hihi wo oru

     

     

    JUGEMテーマ:社会福祉 

    | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム | 07:52 | comments(0) | trackbacks(0) |









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