大阪人である。
粉もんが好きである。
大阪と言えば「蛸焼き」か「お好み焼き」という
想像力乏しい型にはめられるのは嫌いであるが、
自分の口からは言う。
大阪人である。
粉もんが好きなのである。
大阪人でなくとも粉もん好きの人はおられようが、
それはパンやらパンケーキやらパスタやら、
小麦粉を使った食べ物がお好きなわけであって、
粉もん好きとは似て非なるものである。
”粉もん”という垢抜けない世界に足を踏み入れていないのである。
そうなのよ、私もパンケーキが好きなのよ、などということを
“粉もん”の魅力を抗えない大阪人に向かって言ってほしくはないのである。
粉もん好きを標榜するには、
“粉もん”というコテコテ感たっぷりの垢抜けない香りを
我が体臭として受け入れてから言ってもらいたいのである。
知らんけど。
何しろ、こちとら、子どものころ、祖母ん家に遊びにいって
おやつに”団子汁”を作ってもらったのである。
味噌スープの中に練った小麦粉でつくった団子をいれたものを
おやつに出してもらったのである。
これっておやつ?おやつなのか?と子ども心に思いながらも、
けしてその疑問を口には出さず、
「おいしいか?」と満足げに問う祖母に
「うん、おいしい」と答えた身である。
小腹が空いた時に祖母が食べる間食と、
幼稚園に行く前の子どもが期待するおやつとは、
似てすらいない非なるものである。
しかし、子どもながらに「こんなん、おやつちゃう」とは言えなかった。
気を良くした祖母は、それからもそれからもそれからも
おやつに”団子汁”を作ってくれたのである。
そうして、いつしか「団子汁」の味が忘れられなくなり
いっぱしの”粉もん好き”へと育っていったのである。
こうして、粉もん好きの大阪人ができあがっていくのである。
これが、大阪人、粉もん好きへの道なのである。
知らんけど。
ちなみに、大きくなってから”すいとん”という言葉を知った。
よくよく聞けばそれは "団子汁"ではないか。
そのとき、年頃の娘さんになっていた私は、ケッ!と思ったのであった。
口には出さぬが心の中では、ケッ!である。
”すいとん”だなんて垢抜けた響きはケッ!である。
だって大阪人だもの。
知らんけど。
そしてそんな、ほかの大阪人のことは一切知らない一大阪人の私は、
お好み焼きの「このみちゃん」に夢中なのである。
いや、夢中というのは言い過ぎた。
やや夢中、いや、ややもすれば夢中である。
お好み焼き食べたいなあと思ったら
決まって頭に浮かぶ存在が「このみちゃん」なのである。
容器に、キャベツ、練った粉、山の芋、天かす、ネギ、紅ショウガ、
卵、豚肉、海老、そしてソースにマヨネーズ、青海苔と粉がつおが
入ったお好み焼きセットである。
この紅ショウガが入っているところが、これまた、たまらんのである。
紅ショウガの天ぷらをこよなく愛する大阪人の心を分かっているのである。
容器から弾む心で具材を取り出し、また戻し入れて掻き混ぜる。
大きな容器の中で、空気をふくませるようにサクサクッと
手首のスナップをきかせて掻き混ぜるのである。
そして軽やかに混ざり合った具を熱したフライパンに流し込み、
豚肉と海老をのせて待つ。
押さえたり、動かしたりせず、待つ。
縁の方の粉に生っぽさがなくなってきたら返す。
そしてまた待つ。
豚肉の脂の焼けた匂いがしてきたところで
もう一度ひっくり返す。
ふわふわに焼き上がったお好み焼きに
ソースとマヨネーズ、そして青海苔と粉がつおをかけて出来上がりである。
こんなに手軽で、自分で一から作るより美味しいのだ。
母親世代の料理自慢のご婦人たちから教えてもらって最初に食したとき、
もうこれからは、家でお好み焼きを食べるときは「このみちゃん」と決めた。
キャベツを刻んで、出汁で粉を溶いて、山の芋を磨り下ろして、
ネギと紅ショウガを刻んで、
天かすや、そうそう料理で使わない青海苔や粉がつおを調達してつくる
自家製のお好み焼きより美味しいのだ。
1度に2枚や3枚食べられそうな勢いである。
粉もん、バンザイである。
粉もん食べ過ぎ要注意なれど、やっぱり好きな物は好き。