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ぱんせどフランセ

思いつくまま、たまに仕事のことなども。

福祉の現場に生きる人たちへのインタビューをもとに書いた
ルポルタージュ「日々を織る」も連載しています。
社会のインフラとして vol.3|日々を織る
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    ☆「日々を織る」福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ☆

     

     

    Person 5   荒井 恵一さん

     

    社会のインフラとして

     

      序・大阪で社会事業を先駆した創設者

      進路を変えた人との出会い

      背中を見て仕事を教わる

      2人の師匠と、仕事に対する執念

      物事を動かしていく情熱

      機会を逃さず

      モチベーションの継続

      職員たちの力を育てる土壌

      地域の中に

      生活のお守り

     ⅺ 何かあったらウチにおいで

     ⅻ さりげなく地域の中にある

     

     

    荒井さんを待っていた最初の仕事は、

    増床のために改築中の母子寮での手伝いだった。

    引っ越しの手伝いもした。

    建設会社の人たちと話ができるよう、

    設備など建築中の建物について理解することもした。

    また、唯一の男性職員ということで、

    母子寮で暮らす母親たちを守る役目もあった。

    寮で暮らす女性の中には、サラ金の取り立てや

    DVから避難してきた人もいた。

    サラ金との交渉、暴力をふるう夫との交渉と、

    女性たちを守る窓口として矢面に立った。

    そして、母子寮で暮らす子どもたちが心身ともに

    健やかに育っていくように補導も行った。

     

    母子が暮らす建物の整備、

    トラブルの解決、

    子どもたちの育成の手助け。

    困っているお母さんたちの問題を解決する。

    様々な面で、お母さんたちの力になる。

    それが福祉だという意識は無いままに、

    ただただ、毎日、現場で、それをする。

    働いてみて駄目だと思えば、別の道を探せばいいと

    思っていた福祉の仕事は、

    仕事だと感じることもないほどに

    荒井さんの日々を充たしていた。

     

    入職してから2年目、全国社会福祉協議会への

    半年間の出向を命じられた。

    配属された部署は、種別や専属を持たず

    中之島と呼ばれる部署だった。

    社会福祉協議会の職員2名と一緒に、

    部門部署が明確でない仕事全般を担当していた。

    その一つとして、ちょうどその頃立ち上げていた

    全国経営者協議会の事務局の仕事があった。

    荒井さんは、機関誌をつくるように命じられた。

    全国の経営者向けの記事を企画したり、

    原稿執筆の依頼をしたりと、

    未経験ながら、会員たちに役立つ情報を届けようと

    編集制作に勤しんだ。

     

    まだ、24、5歳の、経験の少ない若者が、

    経営者というベテランの人たちが集まる

    全国的な組織の立ち上げに携わった。

    八尾隣保館で経理の仕事もしていたので、

    自分にできることが一つ、しっかりとあったのが心強かった。

    とは言え、ベテランの経営者を前にしての会計報告など、

    ずいぶんとたどたどしいところもあったとは思うが、

    ともかくも、できることをきちんとしながら

    仕事の内容をバージョンアップしていった。

     

    「職員さんたちと、仕事を離れても飲みに行ったり、

     コミュニケーションを重ねて、

     無我夢中で、足りないところは覚えながら、

     一つひとつの仕事をしていきました」

     

    経験が足りないのなら、やる気で補う。

    やる気があって、酒が飲めて、人と積極的に繋がっていく。

    型破りなような坂江さんの面接は、

    実は、育てていきたいと思う若者の資質を見極める

    肝を押さえていたのではないだろうか。

     

    さて、半年間の予定だったこの出向は、

    実は2年間と大きく期間が延びた。

    半年が経ったところで、社会福祉協議会の上司から

    東京でもう少しやってみるか、大阪に戻るか訊ねられた。

    周囲の理解が得られるなら、残りたかった。

    会報誌の原稿も、起案書も、

    真っ赤に朱入れをして返してくれるこの上司と

    もう少し仕事をしたかった。

    生まれて間もない経営者協議会をどう動かしていくか、

    画期的なアイデアを考え、その実現のために

    調査をし、交渉をする姿を見せてくれた。

    その背中を見て、もっと学びたい、

    この人たちとの仕事を続けたいと思った。

     

    仕事と、仕事を教えてくれる人との出会い。

    この全国社会福祉協議会での2年間で得た

    人との関係づくり、人との繋がりは、

    荒井さんの宝であり、法人の財産だ。

    三十数年経った今も、

    この時一緒に仕事をした人たちとは繋がっている。

    当時と同じように、今も

    時に一緒に食事をし、酒を飲み、話をする。

    日本の中央で国を相手に仕事をする人たちと、

    地方の町の地域の中に根づいた現場を動かす人。

    それぞれの位置から、今これからの福祉の姿を

    ざっくばらんに話し合い、互いの仕事に生かしていく。

     

    八尾隣保館の坂江さん、

    全国社会福祉協議会時代の松寿さん。

    大阪と東京に、師匠と呼ぶ人を得た20代の頃。

    その出会いを引き寄せてきたのは何か。

     

                                                               

             次回 「 2人の師匠と、仕事に対する執念」

     

     

    協力:社会福祉法人 八尾隣保館

    コーディネーター:社会福祉法人 産經新聞厚生文化事業団

     

     

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    JUGEMテーマ:社会福祉

    | ☆ルポルタージュ「日々を織る」Person5 | 08:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
    社会のインフラとして vol.2|日々を織る
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      ☆「日々を織る」福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ☆

       

       

      Person 5   荒井 恵一さん

       

      社会のインフラとして

       

        序・大阪で社会事業を先駆した創設者

        進路を変えた人との出会い

        背中を見て仕事を教わる

        2人の師匠と、仕事に対する執念

        物事を動かしていく情熱

        機会を逃さず

        モチベーションの継続

        職員たちの力を育てる土壌

        地域の中に

        生活のお守り

       ⅺ 何かあったらウチにおいで

       ⅻ さりげなく地域の中にある

       

       

       

      八尾隣保館で仕事に就くまで、

      荒井さんに福祉分野での経験はなかった。

      高校時代に友人に誘われ

      ボランティア活動に参加したことがあったが、

      その時に感じた、してあげているという

      参加者の雰囲気に馴染めなくて2、3度で止めた。

      教員免許を取得していたし

      いずれ教師になろうという気もちを持ちながら、

      民間企業への就職を決めていた。

       

      そんな時、就職活動の中で友人に誘われて行った

      大阪府の社会福祉協議会に預けてあった

      履歴書を目にした先代理事長の坂江氏から連絡があった。

      預かりはするが求人の可能性はほぼ無いと、

      協議会事務所の人に言われていた履歴書を見たと

      かかってきた電話。

      話を聞いてみようと軽い気もちで会いに出かけた。

       

      就職が決まっていた企業での歓迎会の1週間後、

      少し伸びた髪に、スーツも着ずにラフな服装で

      伝えられた所在地に行くと、

      改装中の本館脇に設えたプレハブづくりの建物に

      「八尾隣保館母子寮」という古びた看板が掲げてあった。

      2月の寒空の下で見たその光景に、

      ぜったいに断わろうと思い、事務所の扉を開けた。

       

      石油ストーブの上でヤカンがチンチン鳴っている狭い部屋で

      対面した坂江さんから出た言葉は、

      『やる気はあるか、酒は飲めるか、麻雀できるか』だった。

      意表をつく質問に、

      「やる気があるかと言われたら、ある。

       酒は、まあ、飲める。麻雀は、必要だったら覚える」と答えた。

      すると坂江さんから「採用だ!」と即答があった。

       

      採用という返事は嬉しいことだが、それはそれで困った。

      何しろ1週間前に別の会社で

      入社の歓迎会をしてもらったところだ。

      時間をくださいと面接の場を後にして、

      入社が決まっている企業にどう辞退の意を伝えるか考えた。

      1970年代から80年代にかけて、

      けして世の中は好景気という状況ではなかった。

      自分の行動が、後輩に悪い影響を残してはいけないと

      大学の就職課にも相談し、丁寧な断わり方に心を砕いた。

       

      そして、いよいよその会社に断りに行く段になって、

      「あんな面接でよかったのかな、

       採用の内定通知をもらったわけでもないし」と

      一抹の不安がよぎった。

      何しろ、その場の口約束一つで、

      決まっている就職を取りやめようとしているのだ。

      そこで坂江さんに確認の電話をした。

      「これから、就職が決まっている会社に断わりに行くのですが、

       ほんとうに採用なんですよね」

      すると受話器の向こうから、強い声が返ってきた。

      「ワシを疑っているのか!」

      「疑っているとかではないですが、

       今までそんな会社が無かったので」

      と確かめたかった理由を説明すると、

      「間違いない!」と一言返ってきた。

      「じゃあ、断わりに行ってきます」と

      荒井さんは迷いなく行動を起こした。

       

      決断し、率直に伝える。

      その言葉を、そのまま受け取り行動する。

      既に決まっていた就職を断わり、

      進路を変えた人との出会い。

       

      「やる気はあるか、酒は飲めるか、麻雀できるか」

      今になれば、その質問は、予想外のことに面した時に

      どう対応するか、柔軟性や

      人との関わり方を見ていたのだと思えるが、

      学生だった当時は、ただ、その型破りな面接をした

      坂江さんを「ヘンテコなおっさん」くらいに思った。

      けど、面白かった。

      目の前に座り、話すその人から滲み出る人柄に魅力を感じた。

       

      「何よりも、この人と一緒に仕事をしたい。

       坂江さんの雰囲気、人柄に対しての勘、

       何か確信というようなものがあったというか。

       豪快だけど、きめ細やか。

       そんな人柄に、その時、魅力を感じた。

       この世界に入ってきた理由はそれだけですね」

       

      働いてみて駄目なら、その時、他の道を探せばいい。

      だからともかく、この面白い、魅力的な人と働こうと思った。

       

      「 人。人との出会い。

       どの社会にもあるかもしれないが、

       特にこの世界はそうではないかと、私は思います」

       

      荒井さんが坂江さんを面白いと思ったように、

      坂江さんも、きっと

      荒井さんに面白さを見つけていたのだろう。

      枠の中にとどまらず、柔軟に、人と関わっていく。

      型破りな面接で、先代理事長が見て取った資質で、

      荒井さんが福祉の世界でどう歩んできたか、

      そして、これから拓いていこうとしているのか。

      その道を追いかけよう。

       

                                                                 

                  次回「 背中を見て仕事を教わる」へ

       

       

      協力:社会福祉法人 八尾隣保館

      コーディネーター:社会福祉法人 産經新聞厚生文化事業団

       

       

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      JUGEMテーマ:社会福祉

      | ☆ルポルタージュ「日々を織る」Person5 | 08:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
      社会のインフラとして vol.1|日々を織る
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        ☆「日々を織る」福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ☆

         

         

        Person 5   荒井 惠一さん

         

        社会のインフラとして

         

          序・大阪で社会事業を先駆した創設者

          進路を変えた人との出会い

          背中を見て仕事を教わる

          2人の師匠と、仕事に対する執念

          物事を動かしていく情熱

          機会を逃さず

          モチベーションの継続

          職員たちの力を育てる土壌

          地域の中に

          生活のお守り

         ⅺ 何かあったらウチにおいで

         ⅻ さりげなく地域の中にある

         

         

         

        「この人とだったら一緒に仕事をしていける」

        そう思ったという理由一つで、

        既に決まっていた民間企業への就職を辞め、

        福祉の世界に道を進めた。

         

        今回お話を伺ったのは、

        社会福祉法人「八尾隣保館」の

        理事長 荒井惠一氏。

        八尾隣保館は、昭和10(1935)年、

        創設者中村三徳(みつのり)氏が農村部隣保事業として

        大阪府八尾市で事業を始めた。

         

        隣保事業は、19世紀後半のイギリスで生まれた

        セツルメント活動を日本で展開した事業で、

        産業革命の中、貧困に苦しむ労働者たちの生活の改善を目的に

        労働者の教育に取り組んだことに端を発する。

        日本では、1890年代、明治の後期、

        やはり近代化の産業振興の陰で困窮に陥った労働者たちを、

        彼らが暮らす地域の中に分け入って

        支援をしていこうとする活動が生まれ、

        それを隣保事業と呼んだ。

         

        八尾市で、その隣保事業を開始した

        創設者中村三徳氏は、明治、大正、昭和と

        大阪で社会(福祉)事業を先駆してきた人物だ。

        氏の社会事業との関わりは警察官時代に始まる。

        老若男女、身体の強弱、貧富の区別無く

        人々が安心に安全に生活を続けられるよう力を尽くした。

        その中の一つに「大阪自彊館(じきょうかん)」の創設がある。

        これは生活を立てることが困難な労働者が、

        貧窮から抜け出すための環境を提供することを目的とした施設だ。

        より安定した収入を得られるように仕事の世話もし、

        廉価に衛生面の整った環境で暮らしながら生活の規律を整え、

        当人が自主的に暮らしを立て直していくことを支援した。

         

        その後、民間の慈善団の理事を務め、

        困窮者のための巡回病院の実現をはじめ、

        子ども、女性、障害者、健康や経済に困難を抱える人たちの

        力になり続けた。

        警察官時代から、生活困窮者が暮らす地域に足を運び、

        子どもの教育の大切さ、衛生的に暮らすことの重要性を説き、

        一家の大黒柱を欠いた家族の暮らしに目を配り、

        支える策を講ずるなど、困っている人に気づき、

        その暮らしに手で触れるような支援を続けてきた彼は、

        やがて農村隣保事業に関心を持ち始めた。

         

        社会事業に身を捧げてきた彼には、

        自身が暮らす八尾周辺の農村部の人々が

        日々の中でどんな助けや支えを必要としているかが

        手に取るように分かった。

        その人たちの力になるために、

        八尾の地で隣保事業を始めようと決心し、

        昭和10(1935)年、私財を投じて

        『八尾隣保館』の前身『大毎記念中村塾』を創設した。

         

        創設時、中村三徳氏が実現しようとした事業の内容は、

        ◎農家、一般家庭の内職、副業の研究、斡旋

        ◎農繁期託児所

        ◎日曜学校の開設

        ◎職業教育の補導

        ◎老幼者の保護

        ◎衛生思想の普及

        ◎簡易図書館の開設

        ◎司法保護

        など、地域福祉の増進を目指したものだった。

         

        5代目理事長を務める荒井さんは、

        受け継いだその創設の志を原点に、

        時代に応じた地域福祉の形を考え、創り続けている。

        「この人とだったら一緒に仕事をしていける」

        その直観一つで始まった出会いの物語から、

        その取り組みやビジョンについての話を始めよう。

         

         

                                                                   

                           次回「 進路を変えた人との出会い」へ

         

         

        協力:社会福祉法人 八尾隣保館

        コーディネーター:社会福祉法人 産經新聞厚生文化事業団

         

         

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        JUGEMテーマ:社会福祉

        | ☆ルポルタージュ「日々を織る」Person5 | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) |