☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆
<コラム> 「安心して生んで老いていける町」への思い 1/2
施設から地域へ、を最大目標に障害者の自立支援をする
坪井絵理子さん<繋がるために>。
地域で暮らしはじめたら、施設の利用者ではなくなる。
それはもう彼女たち施設の支援の手を離れるということだ。
今までどおり、いざというときの手助けはできない。
してはならないのだ。
だから彼女は、地域の施設を訪ねて歩く、顔見知りになる。
もしも、地域に送り出した利用者が、自分たちの知らない間に
どこかの施設に戻ることになったとき、
その新しい施設と、古巣である自分たち施設に繋がりがあって
連携の可能性ができれば、自立への再挑戦の助けになる。
間接的に支援を続けられる。
だから、「繋がるために」できることをしている。
福祉法人とのご縁が生まれて間もなく伺ったこの話に、
福祉という仕事の本質を教えられたようだった。
障害者の就労支援をする北井陽子さん<囲いを打ち破る>。
彼女が障害者福祉の世界に入ったのは子育てを終えてから。
福祉のふの字も知らない自分に務まるのなら、
障害者の暮らしが垣根の向こうの特別なことではないという証明になる。
学生時代から胸にあったノーマライゼーションへの思いから、
授産施設の責任者として第2のキャリアをはじめた。
利用者と職員の、やってください、やってあげますの関係に違和を覚え、
職員は、利用者が自分でやるための伴走者という方針をたてた。
古参の職員たちの反発、利用者の家族からの不安の声に対話で応えた。
そして、北井さんの言うことなら、することなら信じていいという
関係をつくりあげた。
「福祉の仕事の魅力は、仕事をとおして人というものが好きになれること」。
いちばんの障害は人と人との隔てにあると、教えられた。
法人が運営する十数の施設の統括をしていた永棟真子さん
福祉施設の方と話すなかで、普段よりもよく耳にした人権という言葉。
「人権って何なんでしょう」と、
その重く、かたい言葉について彼女に訊ねてみた。
「ものごとを、自分の意思で決められることやん」と、
間髪入れずに返ってきた。
障害があってできないことがあれば、できるようなやり方を考える。
その知恵を絞る、工夫を重ねる。それが支援の仕事。
「すべて、当事者からはじまる」。
人は誰しも、何でもすべてができるわけではない。
できることと、できないことがある。
そのできることの質と量に違いがある。
そして、障害者はできることの範囲が著しく狭まっている。
狭まっている状況そのものが障害と言うべきか。
だから、当事者の立場に身を置いて、
選択肢を増やし、可能性を広げていく。
福祉の仕事とは、なんとクリエイティビティに溢れているのかと、
強く思った。
社会福祉協議会でのキャリアの後、
高齢者福祉施設を運営する法人本部の主任として働きはじめた
鈴木貴子さん<居場所をつむぐ>。
「それまで懸命に生きてきた人が、人生の最期をどう過ごすかの大切さ」。
地域福祉のあり方を整えていくマネジメントの分野から、
現場へと足の置き所を変えたとき、彼女の心のなかにあった思い。
それは人の尊厳への思いだ。
そしてこの思いは、採用担当者として施設の中の人たちへも向けられる。
採用した人たちの居場所をつくる、「人から人へ」の人事。
人と人が信頼しあう職場の環境はそのまま
利用者さんが暮らす環境に結びついていく。
「人から人へ」繋がっていく思いやり、あたたかさ。
原稿を書きながら、人事は、福祉そのものだと思った。
人がそこにいることを喜べる環境をつくる。
これは一般企業においても同じことではないか。
人事部門は組織のなかの福祉部門だったのかと。
福祉は特別な場所にあるのではないという言葉に、
新しい意味を見つけた瞬間だった。
明治、大正、昭和にかけて大阪の社会事業を牽引してきた
中村三徳さんが設立した社会福祉法人の
第5代理事長を務める荒井恵一さん<社会のインフラとして>。
福祉施設から福祉事業へと、言葉を変えてはどうだろうか。
施設という言葉が自分たちの仕事を
建物のなかに閉じ込めているのではないか。
福祉とは本来、地域のなかにあるものだ。
施設は福祉事業を行うためのステーションである。
何かあったらとりあえず、ちょっと話聞いてくれるかと、
下駄履きで来られる場所が地域のなかの施設の役割。
その考えを象徴する、
福祉は「社会のインフラ」という荒井さんの言葉。
福祉とは無関係だと思いながら暮らしている日常は
福祉というセイフティネットのうえに安んじていると。
安心して生んで老いていける町、という言葉の種が
心に芽生えたときだった。
昭和のはじめ、保育所と幼稚園がいっしょになった
福祉的幼稚園を創設した比嘉正子さんの心を承継する
渡久地歌子さん<安心して生んで老いていける町>。
0歳から5歳、三つ子の魂が育つ時期は
子どもたちの将来の礎になる。
その可能性を広げる機会を子どもたちに提供する。
「どうこうあろうと子どもたちは平等だ」と、
子どもたちが機会の平等を得るための館をつくる。
保育を軸に地域共同体を築いてきた創設者の心を生きるように
承継した事業を育ててきた渡久地さん。
医療と福祉の町というコンセプトによる町づくりの一翼を担い、
保育と高齢者福祉を地域で展開している。
そして法人が運営する施設には
子どもを真ん中に町の人たちが集まっている。
「安心して生んで老いていける町」の姿がここにあると思った。
お一人おひとりの出会いに、福祉というものを教えられた。
仕事で福祉法人とのご縁が生まれたとき、
福祉のことを学びたいと思った。
福祉の姿、福祉の心をすこしで知りたいと思った。
高齢化する親、その次にくる自分の高齢化、
友人たち、そして自分自身にもそう遠いできことではない
福祉への関心もあった。
福祉の現場で生きる人たちのストーリーを書いてみたいと思った。
その思いを受けとめてくださった方々のおかげで、
このルポルタージュ「日々を織る」を書き進めてこられた。
6名の方のストーリーを合わせると、13万文字を越える。
話してくださった心に近づけているだろうか、
その思いをちゃんと汲み取っているだろうか、
その方の人柄を表せているだろうか。
そう思いながら言葉を選んで記す一文字ひと文字が、
福祉の姿、福祉の心を教えてくれた。
自分なりの考え方というものを養ってくれたと思う。
できることを見つけて、一つ一つ、行い続けていく。
それはまさしく、日々を織ることだ。
伴走者として、相対する人に目を凝らし、耳を傾けて、
急かさず、焦らず、止まることなく、今日という日を重ねていく。
そして、その先へと眼差しをむけて動き続ける。
高い専門性の知識と技術、経験、そして何よりの福祉の心。
福祉が町の真ん中にあれば、人は安心して生んで老いていける。
医療と福祉の町というコンセプトによる町づくりの一翼を
福祉法人が担っているという話は、
まさしく安心して生んで老いていける町を育てていくというものだった。
そう、地域の人たちが一緒に町を育てていく。
その中心に、福祉の専門家たちがいる。
確かな理論を、福祉の心で実践してきた人たちの知識と技術が
人と人を繋ぐ真ん中にある。
思えば、福祉事業は社会事業だ。
人が豊かに暮らせる社会の姿を考え、築いていく事業だ。
町づくりを考えるとき、そこに社会福祉が真ん中にあるのは
しごく真っ当なことなのだ。
安心して生んで老いていける町。
コロナウイルス感染症のパンデミックで生活様式が激変した。
with コロナ、after コロナの新しい暮らし方という言葉が生まれた。
一人ひとりの新しい暮らし方は、新しい社会の姿だ。
これからの社会は、どんな価値観を持つのか、
どんな風に人の暮らしのあり方を見つめていくのか。
社会が変化していこうとする今、
人の暮らしを考える社会福祉を真ん中に町の姿を考えていく
安心して生んで老いていける町という言葉が
いっそう強く胸に響いている。
インタビューに応えてくださった方。
インタビューの実現に力を貸してくださった方。
ありがとうございました。
安心して生んで老いていける町という一つの思いを得て、
この「日々を織る」を完結とします。
お読みくださった方々。
そして記事をシェアしてくださった方々。
ありがとうございました。
そしてもう一度、お話くださった方々へ、
ありがとうございました。
言葉に尽くせない感謝でいっぱいです。
筆者 井上昌子(フランセ) 2021.11.4
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