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ぱんせどフランセ

思いつくまま、たまに仕事のことなども。

福祉の現場に生きる人たちへのインタビューをもとに書いた
ルポルタージュ「日々を織る」も連載しています。

ブランディングについての記事は、フランセのWebに書き始めました。
コラム「安心して生んで老いていける町」への思い 2/2 |日々を織る
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    ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

     

     

     

    <コラム> 「安心して生んで老いていける町」への思い 1/2

     

     

    施設から地域へ、を最大目標に障害者の自立支援をする

    坪井絵理子さん<繋がるために>。

    地域で暮らしはじめたら、施設の利用者ではなくなる。

    それはもう彼女たち施設の支援の手を離れるということだ。

    今までどおり、いざというときの手助けはできない。

    してはならないのだ。

    だから彼女は、地域の施設を訪ねて歩く、顔見知りになる。

    もしも、地域に送り出した利用者が、自分たちの知らない間に

    どこかの施設に戻ることになったとき、

    その新しい施設と、古巣である自分たち施設に繋がりがあって

    連携の可能性ができれば、自立への再挑戦の助けになる。

    間接的に支援を続けられる。

    だから、「繋がるために」できることをしている

    福祉法人とのご縁が生まれて間もなく伺ったこの話に、

    福祉という仕事の本質を教えられたようだった。

     

    障害者の就労支援をする北井陽子さん<囲いを打ち破る>。

    彼女が障害者福祉の世界に入ったのは子育てを終えてから。

    福祉のふの字も知らない自分に務まるのなら、

    障害者の暮らしが垣根の向こうの特別なことではないという証明になる。

    学生時代から胸にあったノーマライゼーションへの思いから、

    授産施設の責任者として第2のキャリアをはじめた。

    利用者と職員の、やってください、やってあげますの関係に違和を覚え、

    職員は、利用者が自分でやるための伴走者という方針をたてた。

    古参の職員たちの反発、利用者の家族からの不安の声に対話で応えた。

    そして、北井さんの言うことなら、することなら信じていいという

    関係をつくりあげた。

    「福祉の仕事の魅力は、仕事をとおして人というものが好きになれること」。

    いちばんの障害は人と人との隔てにあると、教えられた。

     

    法人が運営する十数の施設の統括をしていた永棟真子さん

    選択肢を増やし、可能性を広げる>。

    福祉施設の方と話すなかで、普段よりもよく耳にした人権という言葉。

    人権って何なんでしょう」と、

    その重く、かたい言葉について彼女に訊ねてみた。

    ものごとを、自分の意思で決められることやん」と、

    間髪入れずに返ってきた。

    障害があってできないことがあれば、できるようなやり方を考える。

    その知恵を絞る、工夫を重ねる。それが支援の仕事。

    「すべて、当事者からはじまる」。

    人は誰しも、何でもすべてができるわけではない。

    できることと、できないことがある。

    そのできることの質と量に違いがある。

    そして、障害者はできることの範囲が著しく狭まっている。

    狭まっている状況そのものが障害と言うべきか。

    だから、当事者の立場に身を置いて、

    選択肢を増やし、可能性を広げていく。

    福祉の仕事とは、なんとクリエイティビティに溢れているのかと、

    強く思った。

     

    社会福祉協議会でのキャリアの後、

    高齢者福祉施設を運営する法人本部の主任として働きはじめた

    鈴木貴子さん<居場所をつむぐ>。

    「それまで懸命に生きてきた人が、人生の最期をどう過ごすかの大切さ」。

    地域福祉のあり方を整えていくマネジメントの分野から、

    現場へと足の置き所を変えたとき、彼女の心のなかにあった思い。

    それは人の尊厳への思いだ。

    そしてこの思いは、採用担当者として施設の中の人たちへも向けられる。

    採用した人たちの居場所をつくる、「人から人へ」の人事。

    人と人が信頼しあう職場の環境はそのまま

    利用者さんが暮らす環境に結びついていく。

    「人から人へ」繋がっていく思いやり、あたたかさ。

    原稿を書きながら、人事は、福祉そのものだと思った。

    人がそこにいることを喜べる環境をつくる

    これは一般企業においても同じことではないか。

    人事部門は組織のなかの福祉部門だったのかと。

    福祉は特別な場所にあるのではないという言葉に、

    新しい意味を見つけた瞬間だった。

     

    明治、大正、昭和にかけて大阪の社会事業を牽引してきた

    中村三徳さんが設立した社会福祉法人の

    第5代理事長を務める荒井恵一さん<社会のインフラとして>。

    福祉施設から福祉事業へと、言葉を変えてはどうだろうか。

    施設という言葉が自分たちの仕事を

    建物のなかに閉じ込めているのではないか。

    福祉とは本来、地域のなかにあるものだ。

    施設は福祉事業を行うためのステーションである。

    何かあったらとりあえず、ちょっと話聞いてくれるかと、

    下駄履きで来られる場所が地域のなかの施設の役割。

    その考えを象徴する、

    福祉は「社会のインフラ」という荒井さんの言葉。

    福祉とは無関係だと思いながら暮らしている日常は

    福祉というセイフティネットのうえに安んじていると。

    安心して生んで老いていける町、という言葉の種が

    心に芽生えたときだった。

     

    昭和のはじめ、保育所と幼稚園がいっしょになった

    福祉的幼稚園を創設した比嘉正子さんの心を承継する

    渡久地歌子さん<安心して生んで老いていける町>。

    0歳から5歳、三つ子の魂が育つ時期は

    子どもたちの将来の礎になる。

    その可能性を広げる機会を子どもたちに提供する。

    「どうこうあろうと子どもたちは平等だ」と、

    子どもたちが機会の平等を得るための館をつくる。

    保育を軸に地域共同体を築いてきた創設者の心を生きるように

    承継した事業を育ててきた渡久地さん。

    医療と福祉の町というコンセプトによる町づくりの一翼を担い、

    保育と高齢者福祉を地域で展開している。

    そして法人が運営する施設には

    子どもを真ん中に町の人たちが集まっている。

    「安心して生んで老いていける町」の姿がここにあると思った。

     

     

    お一人おひとりの出会いに、福祉というものを教えられた。

    仕事で福祉法人とのご縁が生まれたとき、

    福祉のことを学びたいと思った。

    福祉の姿、福祉の心をすこしで知りたいと思った。

    高齢化する親、その次にくる自分の高齢化、

    友人たち、そして自分自身にもそう遠いできことではない

    福祉への関心もあった。

    福祉の現場で生きる人たちのストーリーを書いてみたいと思った。

    その思いを受けとめてくださった方々のおかげで、

    このルポルタージュ「日々を織る」を書き進めてこられた。

    6名の方のストーリーを合わせると、13万文字を越える。

    話してくださった心に近づけているだろうか、

    その思いをちゃんと汲み取っているだろうか、

    その方の人柄を表せているだろうか。

    そう思いながら言葉を選んで記す一文字ひと文字が、

    福祉の姿、福祉の心を教えてくれた。

    自分なりの考え方というものを養ってくれたと思う。

     

    できることを見つけて、一つ一つ、行い続けていく。

    それはまさしく、日々を織ることだ。

    伴走者として、相対する人に目を凝らし、耳を傾けて、

    急かさず、焦らず、止まることなく、今日という日を重ねていく。

    そして、その先へと眼差しをむけて動き続ける。

    高い専門性の知識と技術、経験、そして何よりの福祉の心。

    福祉が町の真ん中にあれば、人は安心して生んで老いていける。

     

    医療と福祉の町というコンセプトによる町づくりの一翼を

    福祉法人が担っているという話は、

    まさしく安心して生んで老いていける町を育てていくというものだった。

    そう、地域の人たちが一緒に町を育てていく。

    その中心に、福祉の専門家たちがいる。

    確かな理論を、福祉の心で実践してきた人たちの知識と技術が

    人と人を繋ぐ真ん中にある。

    思えば、福祉事業は社会事業だ。

    人が豊かに暮らせる社会の姿を考え、築いていく事業だ。

    町づくりを考えるとき、そこに社会福祉が真ん中にあるのは

    しごく真っ当なことなのだ。

     

    安心して生んで老いていける町

     

    コロナウイルス感染症のパンデミックで生活様式が激変した。

    with コロナ、after コロナの新しい暮らし方という言葉が生まれた。

    一人ひとりの新しい暮らし方は、新しい社会の姿だ。

    これからの社会は、どんな価値観を持つのか、

    どんな風に人の暮らしのあり方を見つめていくのか。

    社会が変化していこうとする今、

    人の暮らしを考える社会福祉を真ん中に町の姿を考えていく

    安心して生んで老いていける町という言葉が

    いっそう強く胸に響いている。

     

    インタビューに応えてくださった方。

    インタビューの実現に力を貸してくださった方。

    ありがとうございました。

     

    安心して生んで老いていける町という一つの思いを得て、

    この「日々を織る」を完結とします。

    お読みくださった方々。

    そして記事をシェアしてくださった方々。

    ありがとうございました。

     

    そしてもう一度、お話くださった方々へ、

    ありがとうございました。

    言葉に尽くせない感謝でいっぱいです。

     

     

      

    筆者 井上昌子(フランセ)  2021.11.4

     

     

    hihi wo oru

     

    JUGEMテーマ:社会福祉

    | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 08:08 | comments(0) | - |
    コラム「安心して生んで老いていける町」への思い 1/2 |日々を織る
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      ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

       

       

       

      <コラム> 「安心して生んで老いていける町」への思い 1/2

       

       

      都島友の会さんに伺ったのは別件の取材のためだった。

      2015年にスタートした「子ども・子育て支援新制度」下での

      「幼保連携型認定こども園の現状と課題」について、

      というのがそのテーマだった。

       

      都島友の会さんをご紹介くださった方から、

      創設者の比嘉正子という人物は、

      日本の保育の草分けであると同時に、

      日本の消費者運動の生みの親だと伺っていた。

      保育と消費者運動、というのが、

      その時には自分のなかで結びつかなかった。

      そして、取材のための取材をすれば、

      それだけで、ちょっとした原稿が書けそうなほどの情報が集まった。

      待ち遠しかったインタビューの日、

      ご用意くださっていた文献資料や施設を拝見しながら、

      5時間を越える長い取材になった。

      そして、それではとうてい時間が足りないほどの

      比嘉正子さんと都島友の会さんの物語。

       

      揺りかごから墓場まで。

      保育を真ん中に、誰もが明るく楽しく暮らせるような環境をつくる。

      都島の町ではじまった、26歳の女性の挑戦

      そして彼女が蒔いた一粒の種が、90年の時を経た今、

      承継者によって育ち続けている。

      二代、三代にわたって、園児として子どもたちが通う。

      1931年の最初の園児が、最期の時を過ごしたいと

      またここに戻ってきた。

      町の人たちが子どもたちを見守り、

      高齢になったその人たちを地域で見守る。

       

      それはまさに「安心して生んで老いていける町」だった。

       

      福祉法人とのご縁が生まれてブランディングのお手伝いをするようになり、

      このルポルタージュ「日々を織る」を書きはじめた。

      障害者、高齢者、母子、保育、幼児教育、学童、在宅福祉、地域福祉。

      高い専門性と経験をもつ方たちのお話を伺うに連れ、

      福祉というものの大きさを知った。

      特別なところにあると思っていた福祉という分野が

      じつは町の人々の日常を支えているものだと分かるようになってきた。

      そして、その思いのなかから

      「安心して生んで老いていける町」という言葉が浮かんできた。

      このルポルタージュ「日々を織る」で

      都島友の会さんのストーリーを書かせていただきたいと思った。

       

      そもそもの取材のきっかけだった

      「幼保連携型認定こども園の現状と課題」という企画は

      編集サイドの都合で流れた。

      仕事が消えて、取材の記録が残った。

      そして何より、書きたいという強い思いが残った。

      自腹を切っての取材となったことは、自由を得たことだった。

      事前取材とインタビューの記録、いただいた資料をもとに

      「安心して生んで老いていける町」というタイトルで書き始めた。

      最初の3節、六千文字ほどを書きあげたところで、

      この「日々を織る」で書かせていただきたいと、

      趣旨と原稿を、都島友の会さんにお送りしてお願いした。

      ご快諾をいただいた。

      長い原稿のたびたびのチェック、追加の取材、写真の使用許可、

      知りたいと思うことを存分に教えていただいた。

       

      取材の記録を読み込み、書き進めるなかで、たびたび、

      これまでの5つのストーリーをお話いただいた5人の方の言葉が思い出された。

      すべてが自分のなかで繋がっていった。

      自分たちができることを見つけて、一つずつ実現していく。

      その積み重ねが、地域の人の生活を支えていく。

      「安心して生んで老いていける町」への思いが、そこにあった。

       

      誰もが選択肢をもって生きていける、

      自分の生活を自分の意思でつくっていく。

      年齢、障害、家庭の事情、誰もが抱える様々な事情。

      その事情が個人の力で手に負えなくなったときに支える存在。

      それが、地域に根づいた福祉だ。

      そして、それは垣根の向こうの特別なものでもない。

       

      たとえば今わたしは、白湯を飲みながらこの原稿を書いている。

      この白湯を、わたしは自分の力だけで手にできない。

      このひと口は、どれだけの人の世話になって手にしているものかと、

      この文章を書いていて、そう思う。

      社会のインフラとして」という荒井恵一さんの言葉が浮かんでくる。

      福祉は社会のインフラのひとつ。

      それがあるから、人は安心して日々を暮らせる。

       

      福祉の仕事というのは、

      なんてクリエイティブでダイナミックなのだろうか。

       

      福祉法人、福祉施設のブランディング、

      そして、この「日々を織る」の取材と執筆を通じて

      感じ続けてきたことだ。

      一人ひとりの当事者の生活を楽しく豊かにするための工夫。

      ささやかな気づきから、一人の人の生活、

      もっと言えば人生が大きく変わったエピソードに

      鳥肌が立ったことは一度や二度ではなかった。

      目の前にいる人に目を凝らし、耳を澄ませて、

      その人の毎日の生活をより明るく楽しいものにしたいと

      心をくだき、知恵をしぼり、工夫をする。

      福祉の現場の仕事はクリエイティビティに溢れている。

      そしてそのクリエイティビティは、

      町の姿を変え、制度を動かしていく力になる。

       

      「制度が現場を動かすんやない、現場が制度を動かすんや」

      ある施設の長から伺った言葉だ。

      制度にあるとかないとかの前に、目の前にいる人が困っているならば、

      その困りごとを何とかするために、できることをする、やり続ける。

      そしてそれが必要なことだと世の中に認められたら、

      その時には制度になる、と。

      この言葉どおりに地域のために力を尽くし続けた方が、

      今の私たちの施設の土台を固めてくれたと。

       

      比嘉正子さんについて、

      保育の草分けと消費者運動の生みの親という二つの側面が

      最初は結びつかなかった。

      しかし取材を重ね、資料を読み込んでいくなかで、

      この二つがぴたりと重なった。

      子どもたちの生活、子どもたちの生命を守るには、

      衣食住の環境を整えることが肝要だ。

      だから彼女は動いた。

      そしてやがて、政財界から意見を求められ、提言するようになった。

      子どもを守るという思いは、

      その子たちの家庭、地域、そして社会の環境を整えていくことへと

      広がっていった。

      生活者の視点から町の姿をつくり、社会のあり方を変えていく。

      福祉事業とはなんとダイナミックなのだろう。

       

      このクリエイティビティとダイナミズムをもつ福祉事業、福祉施設が

      地域の真ん中にある。

      福祉を真ん中に育っていく町。

      それが、「安心して生んで老いていける町」だ。

       

       

       

             次回 「『安心して生んで老いていける町』への思い2」へ

       

       

      筆者 井上昌子(フランセ)

       

       

       

       

      hihi wo oru

      JUGEMテーマ:社会福祉

      | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 08:32 | comments(0) | - |
      <コラム>高齢を生きるということ|日々を織る。
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        ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

         

         

         

        <コラム> 高齢を生きるということ

         

         

        高齢化する親とどう生きていくか。

         

        一足先に親の介護を始めている友人や知人の姿に、

        いつかは自分も通る道なんだろうなと

        そのことについて考える時には、

        高齢化する親と生きるということは、すなわち

        自分の生活がどんな風に変わるのかについてだった。

        高齢になった親の生活よりも、

        それによって影響を受ける自分の生活のことを思っていた。

        肝心の親本人が高齢をどう生きていくかということを

        見ていなかったのだ。

         

        福祉の現場で働く福祉の専門家と話す中で

        さんざん耳にしてきた「本人からはじまる」という言葉が

        いざ自分の普段の生活への不安になった時、

        すっかり考えの中から抜け落ちていたというわけだ。

         

        そのことに気づき、また、

        親本人がどう生きるかを考えることと切り離して

        自分の生活の変化について考えることはできないものだと

        気づく出来事があった。

         

        先週のコラムにも書いたが、昨年の暮れ、母が体調を崩した。

        ERに駆け込み、その場で入院。

        数日経過を診た結果、手術となった。

        高齢化する親と生きていくということが

        生々しい現実となって自分の日常生活を覆う出来事だった。

         

        年齢的なことも考えて可能な限り

        開腹手術はしないでおこうと、

        内科と外科の先生方が診察と検査、話し合いを

        重ねてくださって数日後、

        やはり手術をする方がよいという診断を受けた。

         

        入院当日から手術の可能性を告げられ、

        最終的な診断の前にも手術をした場合と

        しなかった場合それぞれの今後の状況についての

        説明も受けていた。

        年齢に加えて体力が衰えた状態での手術で

        負担はあることは分かっていた。

        けど、身体をチューブに覆われて

        検査や処置のたびにぐったりとする様子に、

        この小康状態で治療に時間をかけることもまた、

        本人にとっては楽ではない選択なんだろうなと

        素人ながらに感じていた。

         

        いまの症状が治まったとして、

        この先、再発するたびに今回と同じような

        辛さを繰り返していくのだろうな。

        食事や行動に制限がかかるのだろうな。

        また、いつあんな風になるのか分からないと

        不安を抱えて暮らしていくことになるのだろうな。

        そんな風に先々の母の暮らしぶりを想像すると、

        どちらを選んでもリスクはあって、

        どちらを選んでも辛抱が必要なのは明らかだった。

         

        そして、もう一つ。

        病院のベッドで過ごす時間が長引けば、

        足腰はもちろん手指にいたるまで筋力が衰えて

        自立した生活に支障がでるだろうことも

        素人ながら容易に想像できた。

         

        リスクのない選択肢がないのなら、

        日々の暮らしを楽しんでいる母の姿を

        より想像できる方がよかった。

        今までどおり、おいしいねと何でもよく食べて、

        行きたいところに自力で出かけて、

        ささやかであっても自分の気もちにそった楽しみ方をしている

        日々の姿が想像できる方がよかった。

        手術を選択肢として考えておくように

        医師から説明を受けた時、そう思った。

         

        退院後の母の毎日の生活。

        これからの母の人生について考える。

        突然はじまった介護する生活の中で考えた

        高齢化する親と生きていくということは、

        そういうことだった。

         

        本人がどう高齢を生きていくか。

        家族として、それとどう関わっていくか。

         

        母本人も手術を希望し、

        退院後の生活に向けて積極的だった。

        手術後は車椅子の出番は無かった。

        1日でも早く自分の足で歩きたいという

        本人の気もちを聞き入れて、

        手術翌日から看護師さんが付き添って、歩行器も使わず

        病室フロアの廊下を歩かせてくださった。

        転倒しないように付き添っているからと、

        院内のあちらこちらの検査室へも

        自分の足で歩いて行かせてくださった。

        時間がかかってお世話をかけるけど歩きたいという母に、

        気長に付き合ってくださった。

         

        車椅子も歩行器もなしで

        たとえ1日に数百メートルでも歩いていたおかげで、

        自宅に戻ってからのリハビリが驚くほど捗った。

        日一日と距離が伸び、スロープや階段を上り下りする

        足取りが力強くなっていった。

        その目に見えての変化が本人のやる気を刺激して、

        こちらががんばり過ぎに気をつけるほどだった。

         

        母のリハビリをしていた時期、

        2か月あまりの入院中、ベッドの上か車椅子で

        過ごしていたことをきっかけに、

        退院後も車椅子を使うようになった方の話を聞いた。

        足腰は丈夫で一人で外出もしていたのに、

        今も転倒防止に車椅子を使わないといけないのと

        残念そうに話してらっしゃった。

        病状や状況によって看護の形は様々だろうが、

        ご本人やご家族の気持ちを考えると切なかった。

         

        本人の選択肢を広げる。

        本人の可能性を消さない。

        本人ができることを増やしていく。

        それはすべて本人から始まる。

         

        この「日々を織る」の取材執筆を通して

        そして会議や食事会などの場で耳にしてきた言葉を思った。

        高齢化する親と生きていくということは、

        親本人が高齢をどう生きていくかを

        まず本人を主体において考えることだと実感した。

         

        恵まれたことに、

        手術後の回復は先生方や看護師さんたちが驚かれるほど

        順調で早かった。

        そんなわけで、長期間、介護生活を続けている

        友人や知人の大変さは想像を超える。

        介護する日常生活の大変さをほんとうには

        分かっていないだろうとも思う。

        けど、高齢化する親と生きていくということは

        親本人が高齢をどう生きていくかの伴走者になることだと、

        それだけは学んだ。

        そして、その伴奏の仕方はやはり、

        福祉の現場で様々な人の日々の暮らしの伴走者として

        知識と経験を積み重ねている

        福祉の専門家たちにならうことが多い。

        自分の経験の後、あらためて思うことは、

        福祉の現場は施設の中だけにあるのではなく、

        私たちが普段暮らしている日常生活の場にも

        その根をおろしているということだ。

         

        高齢化する親と生きていく。

        自分自身が高齢を生きていく。

        それが体温を持った自分ごととなった今、

        一人ひとり、一つひとつの家族が、

        それぞれの福祉を行っていくのだとそう思う。

         

         

                                                筆者 井上昌子(フランセ)

         

         

                    次回「安心して生んで老いていける町」へ 

         

         

         

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        | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 08:28 | comments(0) | - |
        <コラム> 気づくということ | 日々を織る。
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          ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

           

           

          <コラム> 気づくということ

           

           

          自分の暮らしを整えるための

          一つのサービスとして福祉を使いこなす。

           

          自分だけの力ではうまく解決できないことを

          何とかしていくために力を貸してくれるのが、

          福祉というサービスだと、

          このルポルタージュ「日々を織る」を書くことで

          そんな考えが生まれてきた。

          福祉というものは垣根の向こうにある

          特別なこと、もの、ではなく、

          自分の生活の延長線上にあるのだと

          そういう考え方をするようになった。

          ただ、そんな風に考えるようになったことと、

          その福祉というサービスを使いこなせるように

          なることは別物だ。

           

          福祉は自分の生活を整えるための

          一つのサービスとしてある。

          そう思うようになったとはいえ、

          どう使っていいのかが分からない。

          まず、今、そのサービスを使うのかどうかの

          見極めすらできない。

          自分が福祉のサービスを使うほど

          困っているのかどうかが分からない。

          もっと言葉を進めれば、

          自分が困っている、困った状況にあると

          自覚することは存外、難しい。

           

          昨年の暮れ、母が体調を崩した。

          12月に入って間もなく具合が悪くなり

          救急病院に駆け込んだ。

          ERでの検査に3時間近く、

          それから専門科の医師に委ねられて

          緊急手術が必要かどうかを見極める検査に1時間以上。

          日曜日の病院の薄寒い廊下で、

          母が着てきた衣服と靴が入ったポリ袋と

          並んで座って待つ時間は長かった。

           

          後期高齢者になって、昔と比べれば足が遅くなり、

          台所仕事一つひとつにも時間がかかるようになり、

          同じ事を何度も繰り返して聞くようになり、

          一晩二晩の夜更かしが一週間ほど尾を引くようになりと、

          寄る年波を感じることしきりではあるものの、

          病院に足を運ぶのは、年に1度、

          インフルエンザの予防接種程度と

          総じて健康であったから

          入院、手術というのは青天の霹靂だった。

           

          入院して数日後に、やはり手術ということになった。

          体力が衰えた状態での手術には懸念があった。

          検査や手術の影響で、これから先、

          新たな疾患を抱える可能性も覚悟の上だった。

          体調を崩してから1週間ほど、

          病院に行くのを嫌がる本人の気もちに任せていたこと、

          栄養補給の点滴だけでも無理強いしていたら

          状況は違っていたかもしれないと、

          日ごろの親の健康に過信していたことを悔やんだ。

           

          おかげさまで手術後の経過は順調で

          心配はすべて、もしかしたらの話ですんだ。

          もとどおり健康になり、

          いつもどおりの日常生活が戻ってきた。

           

          入院時は起床時間を早めて

          家事と仕事をすませて母に会いに行くのを日課に加えた。

          その日の話を聞きながら、1時間から2時間、

          手足のマッサージを行った。

          高齢になって、ひと月近く病床で過ごすことで

          足腰が衰えるのは目に見えていた。

          手指の力が弱くなることも想像できた。

          しばらく休んだら、またしっかり動いてねと

          身体に話しかけるような気もちだった。

          退院してからひと月あまりは、

          体調管理と栄養管理、そしてリハビリに

          注げるだけの時間とエネルギーを注いだ。

          母が調子を崩してから2か月ほど

          自分のことを考えるゆとりのない毎日だった。

           

          身の回りのことはすべて自分でできるようになり、

          負担がかかりすぎない範囲で家のこともできるようになり、

          母の自立した日常生活が戻ってから

          あの2か月間を振り返って、ふと、

          自分は困っていたのだろうかと考えたことがある。

           

          薄寒い廊下で母の検査が終わるのを

          ぽつねんと待っていたあの時、

          自分で驚くほど心は平静だった気がする。

          ただ、その平静さが不自然な気もして、

          友だちの一人にLINEしてみた。

          返ってきた「側にいようか? すぐに行けるよ」という

          ひと言に、平静さの下にある波立ちを見つけた気もする。

          心細さや不安といった感情。

          平静ではあったけれど、夜、眠れなかったので

          心細さや不安はずっと心のどこかにあったのだと思う。

          でもそれは困ったというのとは違っていた。

          そして、ふと、人はどれくらいの状況で

          自分は困っていると思うのだろうかと考えた。

           

          友人や知人との間で

          親の高齢化について話すことが多くなった。

          体力、記憶力、判断力などの衰えについて、

          いかに健康に暮らしてもらうかについて、

          仕事や趣味のことと同じように話すようになった。

          中には、仕事を変えたり、辞めたりして

          親の介護を自分の生活の中心に置いた人もいる。

          そんな自分たちのことから書き始めたのが

          このルポルタージュ「日々を織る」だ。

           

          今ある普段の暮らしは、

          親の高齢化と一緒に必ず変わっていく。

          持病と認知症を抱えた両親の介護を一人で引き受けて、

          ある日、突然感情の抑制がきかなくなって

          人前で泣き叫んだいう知人もいた。

          その話は、けして他人事ではなく

          自分にも起こりうることだ。

          そんな時、自分はどうするのだろうか、

          どうしたらいいのだろうか。

          どうすればいいかを、どうやって知るのだろうか。

          上手に、助けを求め、得ることができるのだろうか。

           

          ある日、感情の抑制がきかなくなった知人が

          大声で叫んだ言葉は「誰も助けてくれない」だった。

          今日、目の前にあることを何とかする。

          今日、目の前にあることくらいは何とかできる。

          自分で何とかできる。

          そうやって過ごす日々の中で

          彼女はいったいどれくらい自分が困っていると

          感じていたのだろうか。

           

          あの病院の廊下で一人ぽつねんと座っていた時の気もち。

          今、しなければならないこと、今、自分にできることを考え、

          よし、大丈夫と状況をコントロールする。

          自分のことを思うことなく今日一日を何とかしていくことが

          彼女の普段の暮らしのあり方になり、しんどさを感じても、

          それが誰かに相談をして解決策を見つけていく

          困りごとだとは思ってはいなかったのではないだろうか。

          自分がしっかりしていれば、自分が元気であれば、

          自分ががんばれば、何とかできる。

          何とかできている自分を困っている人として

          見ることはしなかった。

          そしてそのまま、自分を追い詰めていった。

          そんなことだったのかなと彼女の気持ちを思いを馳せて、

          彼女の話にただ相づちを打ち、耳を傾けていた時よりも

          胸が痛くなった。

           

          この「日々を織る」を書き始めてから1年半ほど、

          福祉のサービスは困りごとに気づく事から

          始まるものなのだと思うようになった。

          福祉の専門家であるサービスの提供者が

          支援を必要としている人に気づく。

          そして当の本人が困っていることに気づく。

          福祉のサービスが必要とする人に行き届くことを考える時、

          どうしても提供者の気づく力に目がいきがちだが、

          肝心の当人に困っているという感覚がなければ

          サービスは生かされない。

          福祉事業のサービスも、

          世の中のあらゆる事業のサービスや商品と同じだ。

          利用する当人がその必要性を認めなければ

          それが生かされる機会はない。

           

          母親の介護という体験で、

          このルポルタージュを通じて考えてきた

          いろいろなことが生々しい自分ごととなり、

          福祉を自分の生活を整えるためのサービスの一つとして

          使いこなしていくための

          気づく力というものについてあらためて考え始めている。

           

           

           

                     筆者 井上 昌子(フランセ)

           

           

                     次回 コラム「高齢を生きるということ」へ

           

           

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          | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
          <コラム>職場の中の福祉|日々を織る
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            ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

             

             

            <コラム> 職場の中の福祉

             

             

            人と人が関わる事そのものが仕事である福祉の現場。

            どんなスタッフからケアを受けるのかによって、

            人の暮らしの質、もっと言えば人生の質が違ってくる。

            取材や見学、会議への参加を通じて

            福祉の現場における研修について知るたびに、

            人を育てる事への熱心さに感服する。

             

            このコラムの前に連載していた

            4つめのストーリー「居場所をつむぐ」でも

            人材の採用と育成のための課題や取り組みについて伺った。

             

            先ず、リクルートの段階からの

            仕事や職場への理解を深めるための取り組みの細やかさ。

            ここで働いているイメージ、

            その場に自分がいるイメージが持てるように

            ていねいに、ここで働こう、

            働きたいという気もちを育てていく取り組み。

             

            そして働きだしてからのケア。

            知識やスキルをアップするだけではなく、

            仕事に対する気もちを育てるような研修。

            この仕事をしていてよかったと感じる体験ができる研修。

             

            その職員の支援を受けることで

            その日一日を快適に過ごせるかどうか。

            当時者の暮らしの質、

            その積み重ねによる人生の質がどれだけ良くなるか。

            一人の人の人生に深く関わっている仕事だということを

            痛いほど感じて、考えを尽くした研修。

            その考えの根底は、職員へのケアと繋がっている。

            職員自身の心が安定しているからこそ

            当時者のケアにも心が届く。

             

            職員一人ひとりに目を配り、気を配り、

            誰か困っている人がいれば、

            それにちゃんと気づく事ができるように寄り添う。

            一人じゃないよ、いつでも、どんな小さな事でも

            相談できる相手が側にいるよと伝えていく。

            その困りごとを、どうしたら小さくしていけるか、

            軽くしていけるか、一緒に考える相手が

            すぐ側にいるよと分かってもらうための

            コミュニケーションを重ねていく。

            職場の中に、自分一人で困惑や不安、不満、

            困りごとを抱えた人を放っておくことがないように、

            困っている人に気づく事ができる環境を整える。

             

            その話を聞きながら、

            あ、そうか! 組織の中の人事部門というのは、

            職場という働く場における福祉を担う部門なのだ、

            ああ、そうだったんだ、と思った。

             

            先ず、職員たちに、

            ここに自分の居場所があると実感してもらうこと、

            自分はここで受け容れられている、

            自分はここで必要だとされている、

            必要な人になるための努力を認められている。

            そうやって、ここに居場所をつくろうとする

            自主性を育てていく。

             

            評価の前に、先ず、受け容れる。

            そして努力の伴走者になる。

            それが採用し、人を育てていく者の役割だという感覚。

            話を聞きながら、そう感じてハッとした。

             

            その感覚は、このルポルタージュ「日々を織る」の

            取材と執筆の中で、

            福祉の現場の人たちが当時者に向ける

            心の在り方と通じるものだ。

             

            そして、あらためて、

            職場という組織の中での人事とは、

            そこで働く人たちにとって、

            居場所をつむいでいくための支援なのだと考えさせられた。

            評価をするよりも、働く意欲を育てる。

             

            多様な人を多様なままに。

            支援する人と、当時者が共に一歩一歩を進めていく。

            楽しかったねという笑顔の数を増やしていく。

            できることを、できるだけ、という謙虚さで

            お互いを認め合っていく。

            福祉の現場を訪れるたびに感じる

            手のひらにのるような温かさ。

             

             

            困っている人に気づく。

            側にいるよ、一人じゃないよと、

            そっと背中に手を添える。

            人事についての話を聞きながら感じた

            そのあり方は、職場の中の福祉だ。

            福祉とは、どこか特別ところにあるのではなく、

            人と人の間に通う心の中にあるものなのだと。

            また、そう教えられた。

             

             

                       筆者 井上 昌子(フランセ)

             

             

                       次回 「社会のインフラとして  Vol.1」へ

             

             

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            | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 09:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
            記事の一覧 |「日々を織る」
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              「日々を織る」福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ

               

               

              **********************************

               

              福祉は特別なものではない。

              いろいろな人が、いろいろなまま、日々の暮らしを過ごしていけるよう。

              普段の生活の暮らしやすさを整えていくものだと。

              そういうことを感じさせてくれる、

              福祉の現場で生きる人たちの物語です。

               

              **********************************

               

               

              Person 01  坪井 絵理子さん 「繋がるために。」

               

               

              Person 02  北井 陽子さん    「囲いを打ち破る。」

               

               

              Person 03  永棟 真子さん 「選択肢を増やし、世界を広げる。」

               

               

              ☆ Person 04  鈴木 貴子さん    「居場所をつむぐ。」  

               

               

              ☆Person 05 荒井 惠一さん  「社会のインフラとして」 

               

               

              ☆Person 06 渡久地 歌子さん 「安心して生んで老いていける町」

               

               

              ☆ コラム 「はじめに」

               

                    「「障害」か「障がい」か」

               

                    「普段着の福祉」

               

                    「障害の両サイド」

               

                              「職場の中の福祉」

               

                    「気づくということ」 

               

                    「高齢を生きるということ」

               

                   「『安心して生んで老いていける町』への思い 1/2」  

               

                    

                   「『安心して生んで老いていける町』への思い 2/2」   ← New!

               

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                                                                                     FRANCER 

               

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              | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 10:38 | comments(0) | - |
              <コラム>障害の両サイド|日々を織る
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                ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

                 

                 

                <コラム> 障害の両サイド

                  

                今年、2018年の2月のはじめに、

                注意集中や落ち着きに困難のある

                ADHA:注意欠如多動性障害や、

                対人関係やコミュニケーションに関する困難のある

                ASD:自閉症スペクトラムといった

                発達障害の当事者の話を聞く機会があった。

                 

                たとえば、子どものころ、

                どうしてそんなに物を

                忘れたり失くしたりするのか、

                いったいどうして

                そんなに注意力に欠けているのかと

                親や教師に叱られるたび、

                それが分かれば自分でも

                もっとちゃんとできていると思っていたこと。

                 

                失敗について、

                どうしてそうなのだと言われて

                自分なりに理由を考え説明を始めたら、

                口答えをするなとよけいに叱られ、

                聞かれたから話して

                どうしてまた叱られるのか困惑したこと。

                どうして?という言葉には

                理由を糺すほか、叱責の意味もあることを

                少しずつ理解して覚えていったこと。

                 

                そんな困惑を繰り返しながら

                人との接し方や

                コミュニケーションのとり方を

                他の人よりも時間をかけて

                少しずつ身につけてきたと。

                 

                発達障害の当事者というその人の体験は、

                自分にも身に覚えのあることだと思い、

                それが、何かしらの障害と名づけられるか

                下手や苦手と言われるかの境目は、

                いったいどこにあるのだろうかと思った。

                 

                ちょっと話を聞いて、

                そういう出来事は自分だって経験している、

                身に覚えがあるからといって、

                相手の困りごとや悩みの高を

                小さく見積もってはならない。

                違いを垣根にしないことと

                違いを小さく見積もることは、きっと違う。

                 

                当時者や当時者の家族、福祉関係者、研究者と、

                発達障害についての理解を促す講演が続くなか、

                1本の動画が流れた。

                聴覚過敏をテーマにしているものだった。

                 

                たとえば食器が触れ合う音や

                水を流す音、ドアの開け閉めの音、

                車のクラクション、子どもの声など、

                その人それぞれに

                特定の音声や、予期せぬ音に

                ひどく敏感に反応する症状だそうで、

                動画を見ている人に、

                その音の世界を疑似体験させる場面があった。

                 

                動画に出演する当時者の一人が

                車の行き交う交差点で、

                過剰に聞こえる音を遮断するためにつけていた

                音楽プレイヤーのイヤホンを外したとたん、

                会場にいた私たちの耳に

                ひっきりなしに通る車の音をはじめ

                町の騒音が大音量で飛び込んで来た。

                そしてその当時者である女性と一緒にいた人が

                彼女に話しかけた時、

                話しかけた人の話し声が背景の騒音に

                みごとに溶け込んで聞き取れなかった。

                 

                これが、その時、私たちが疑似体験した

                人の声と周囲の音とを聞き分けることが

                難しい当時者の聴覚の状態だった。

                 

                聴覚過敏という障害のない私たちは、

                普段、雑多な音声の中で人の声をキャッチする。

                さらに、大勢の人の声がある場合、

                自分が意識を向けた人の声をキャッチしようとする。

                そういう風に、無意識のうちに

                自分が聞こうとする人の声と周囲の声を

                聞き分けている。

                ところが発達障害の症状の一つとして

                この人の声を切り分けて聞き取りづらいということが

                起こるのだそうだ。

                 

                イヤホンなどで耳を塞いでおかなければ

                頭の中をかき回されるような音量での騒音。

                そしてそれらの音と渾然一体となって

                入ってくる人の声。

                頭の中をザラザラジャギジャギと掻き回す騒音。

                そこに音の断片として紛れ込んだ人の声は

                言葉としての意味をなさない。

                不快さと、もどかしさ、苛立たしさ。

                 

                そうか、こんな風に聞こえているのかと

                ほんの数分の体験だったが、

                その不便さへの想像力が芽生えた。

                そして、いかに今まで、

                障害についての想像力が希薄であったかに気づいた。

                 

                障害は、生活の中にある環境と人との間の不具合。

                その不具合がどれほど生きづらさに結びついていくのかが

                障害の度合いなんだろうと。

                そして、その不具合を自分の力で何とかできずに

                困っている人を支援していくのが福祉の役割の一つ。

                このルポルタージュ「日々を織る」を書き始めて

                障害についてそんな風に考えてきた。

                いわば、障害は当時者と環境との間にあるもの。

                そんな風に考えてきた。

                 

                それが、この度、この疑似体験のおかげで

                当時者の感覚への想像力が芽生えた瞬間、

                自分の側にある障害について思いが至った。

                 

                相手がどんな風に困っているのか。

                そこへの想像力の欠如は、

                明らかに理解への障害になる。

                障害者という言葉に、

                つい障害は当時者と環境との間にあるものと

                思いこんできたけれど、

                実は、こちら側の通り道にも障害はあったのだ。

                 

                障害は、両サイドにある。

                そのことに、やっと、気づいた。

                 

                「この仕事を始めてから、

                 “ふつう”って何やろ、と思うようになりました。

                 自分にとっての“ふつう”と相手の“ふつう”は違う。

                 “ふつう”って人それぞれなんやなと」

                 

                これは、このルポルタージュに登場していただいた一人目の

                坪井絵理子さんから聞いた言葉だ。

                その話をしていた時、なるほどな、と思っていたが、

                この『障害は、両サイドにある』と気づいた時、

                思わず、膝を打つような感覚で

                坪井さんのこの言葉を思い出した。

                 

                分かることへの困難。

                その理由は、言葉にして伝えることが難しい

                相手の側にだけあるのではなく、

                言葉だけで伝えきれない相手の側にだけあるのではなく、

                受けとめる側にもある。

                 

                障害は、両サイドにある。

                そしてその両サイドの片側に自分が立っている。

                このことに思いが至ったことで

                心というか頭というか、

                自分のあり方の何かが、やわらかくなった気がする。

                 

                 

                           筆者 井上 昌子(フランセ)

                 

                 

                            次回 「居場所をつむぐ。 Vol.1」へ

                 

                 

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                | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 08:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
                <コラム>普段着の福祉|「日々を織る」
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                  ☆「日々を織る」 福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ ☆

                   

                  <コラム> 普段着の福祉

                   

                   

                  親が、舗道の敷石の、ほんの小さな段差につまづいて転んだ、

                  話す時、ゆっくり大きな声を心がけるようになった、

                  手渡すメモの字を、濃く大きく記すようになった、

                  台所の高い棚から低い棚へとモノを置き替えた、

                  親が使う瓶の蓋を、ほんの少し緩めに締めておくようになった。

                   

                  日常生活に、小さな変化が起こってくる。

                  気がついたら、

                  自分の親もずいぶんと年をとっていたのだ。

                   

                  40代、50代、60代の友人たちとの会話の端に

                  のぼるようになった、

                  高齢化する親と生きていくという

                  抗いようのない現実。

                   

                  ほんの何日間か、

                  身体のどこかに痛みや不調を訴えて

                  寝込んだ親の世話をしているだけで

                  日々の暮らしにかかる負担が増える。

                  時間的に、体力的に、やがて精神的に。

                  こういう状況が、

                  日常として継続したらどうなるのだろうか。

                  そう、日常として継続したらどうなるのだろうか。

                   

                  そのいつか来るだろう現実を想像すると、

                  大変だろうなあという思いと、

                  やっていけるだろうかという不安が、

                  胸をよぎる。

                   

                  そんな不安に、支えになりそうな言葉があった。

                  福祉の現場で支援を続ける人たちに聞いたかけ声、

                  「一人にしない、一人にならない」。

                  そのかけ声が意味するところ、

                  そのかけ声のもと重ねられている

                  日々のあり方を知りたいと、

                  誰も「一人にしない、一人にならない」環境づくりに

                  力を尽くしている人たちの話に耳を傾け

                  書き始めたルポルタージュ「日々を織る」

                   

                  福祉の現場で支援を続ける人たちへの

                  インタビューを通して、

                  書くことを通して、

                  少しずつ自分のなかに、自分なりに思う

                  福祉の姿が見えてきた。

                   

                  それは、

                  普段の暮らしの中で感じる生きづらさを

                  軽減していく、

                  その人その人の個性や体力に合わせて

                  日々の生活を、すこしでも負担なく過ごせるように、

                  暮らしていく環境と人との間の不具合を整えていく。

                  そういうことだと思うようになった。

                   

                  たとえば、家の中の小さな改造。

                  親の高齢化に合わせて、

                  家の床からできるかぎり段差を無くしたり、

                  段差の近くには手すりをつけたり。

                  そうやって転倒を防ぐ。

                   

                  実際、転倒による骨折から

                  寝たきりの生活がはじまったり、

                  骨折は完治したものの、治療中の足腰の弱りから

                  歩く力が衰えたり、

                  その影響で認知力が低下したり。

                  そういうことが、友人知人の間でも起こっている。

                   

                  ちょっと転んだ。

                  たったそれだけのことが、

                  その後の、本人と家族の生活を変えてしまう。

                  そうなるきっかけを減らしていく、

                  そして、そうなった時、その生活の負担を、

                  少しでも軽くしようとするのが

                  福祉というものなのだと思うようになった。

                   

                  小さな段差を平らかにしていく。

                  福祉というものの実体というか、

                  具体的な姿というかは、

                  そういう暮らしの中の細かなところにある。

                  そう考える時、決まって思い出すことがある。

                   

                  イギリス、フランス、スイスの町を

                  一人で気ままに歩き回る旅をしていた

                  20代前半の、ずいぶん昔のこと。

                  路面電車やバスの停留所で、

                  車椅子の人と一緒に並ぶことが珍しくなかった。

                  そのほとんどの人が付き添いなしの単身で、

                  乗り物の到着を待っていた。

                   

                  自分より先にいた人の顔を覚えておいて

                  その人たちを待って乗りさえすれば、

                  もうそれで待っていた順番どおりなのだから、

                  わざわざ列を作らなくてもいいのだという

                  自由なカタチの人の群れ。

                  到着した乗り物に、一人また一人と乗り込んでいく。

                  車椅子の人も、その人の流れの中で自然に

                  乗り物に乗り込んでいく。

                  扉が自動で開くと同時に

                  そこから路面へとスロープが降りてくるので、

                  何の滞りもないのだ。

                   

                  運転手や車掌がスロープを作る板を持って

                  乗り降りを手伝うこともなく、

                  車椅子の人も、他の乗客と同じように

                  乗り降りをする光景。

                  最初の滞在先のイギリスの郊外の町で

                  始めて見たその光景は、私の目に新鮮だった。

                  その日、イギリスでの数週間、

                  滞在していた家の人にそのことを話したら

                  こんな言葉が返ってきた。

                   

                  「一人で乗り降りできるように整備しておけば、

                   車椅子の人だって、自分で出かけられる。

                   いちいち誰かにお願いしたり、

                   礼を言ったりしなくても、一人で行動できる」

                   

                  一人で自由に行動できるから、

                  人は、行動が億劫にならない、と、

                  その後、そんな風にその人との会話が

                  進んでいったように覚えている。

                   

                  車椅子、乳母車、自転車。

                  車体と路面の大きな段差をなくすことで

                  お年寄りも子どもも乗り降りがしやすい。

                  色々な人が、自由に、自分で行動できる。

                  あの自動スロープは、皆が便利になるものなのだと、

                  そんな風にも話が進んでいったとも覚えている。

                   

                  これが、私にとって、福祉という考えとの

                  始めての出会いだったように思う。

                   

                  誰もが、自分の意思と希望にそって

                  自由に、自分一人で、行動することが叶う。

                  その理想に向けて、環境を整えていく。

                  このルポルタージュを書きながら思う福祉の姿が

                  あの路面電車やバス乗り場での

                  一場面にあったのだと思う。

                   

                  もう少し、旅の途中の記憶を広げれば

                  ショッピングモールの入り口で、

                  車椅子の男性が「お先にどうぞ」 と笑顔で

                  私に道を譲ってくれたこともあった。

                  レディファーストのその親切を、私は

                  素直に気もちよく、受け取った。

                   

                  “After you.”

                  “Thank you.”

                  “Not at all.”

                  “Have a nice day.”

                  “You too.”

                   

                  ショッピングモールの入り口での、

                  あの和やかなやりとり。

                  道を譲ってくれた男性にとっても、

                  道を譲ってもらった私にとっても、

                  さりげなく、ささやかで、

                  でもその後の数時間、その日1日を

                  気分よくしてくれた短い出来事。

                   

                  誰かに、いちいちお願いしたり、

                  礼を言ったりせずに、自分一人で行動できる。

                  その自由が、あの時を作ってくれたのだ。

                   

                  その後、日本に戻ってしばらく後、

                  友人と2人で道を歩いていて、

                  地下鉄の出入り口に設えたエレベーターの前で

                  困った様子の車椅子の男性に出会った。

                  地下の通路へ続くエレベーターはあるのだが、

                  エレベーターを呼ぶ押しボタンが

                  車椅子に座ったままで届く位置についていなかったのだ。

                   

                  通りすがりの私たちに、男性は

                  「すみません、ボタンを押してもらえますか」と頼み、

                  「ありがとうございました」と礼を言って、

                  そのエレベーターを使った。

                  エレベーターを降りる時は大丈夫だろうかと、

                  3人でエレベーター内のボタンの位置を確認し、

                  大丈夫ですねと言った時にも、

                  ありがとうございます、手間をかけて申し訳ないと

                  男性は、頭を下げた。

                   

                  車椅子の男性に、ドアの入り口で

                  お先にどうぞと道を譲ってもらった

                  あの小さな出来事と真反対の居心地の悪さだった。

                  そして、その時私には、

                  車椅子のピクトグラフ(絵文字)を掲げた

                  あのエレベーターは、

                  車椅子の人と一緒にいる誰かのためのものに思えた。

                  車椅子に乗った人が、

                  自分一人で自由に乗り降りする姿を想像してではなく、

                  付き添う誰かがボタンを押している姿を考えて

                  作られたボタンに思えた。

                   

                  ほんの数センチ。

                  あのボタンの位置のほんの数センチの違いが、

                  誰もが、可能な限り、

                  自分の意思と、自分の希望にそって、

                  自分一人で行動できる環境で、

                  人って、暮らしていきたいよねという考えが、

                  どれくらい人々の普段の生活の中にあるかどうかの

                  違いではないだろうか。

                   

                  その、細やかなことを積み重ねていくことの

                  大変さは分かる。

                  大きなビジョンを実現するための細部の積み重ねが

                  どれほどエネルギーを要することかは、

                  仕事を続けてきた中で、いやというほど味わってもいる。

                   

                  だから、環境と人との間にある不具合を調整し、

                  生活の中の生きづらさを軽減しようと

                  福祉の現場で支援を続ける人たちの

                  姿や言葉が、胸に、腹に響いてくるのだ。

                   

                  小さな段差を平らにしていく。

                  そんな身近で細やかな環境の調整が、

                  大河の一滴のような。

                  福祉を、暮らしているすべての人を包む

                  大河と喩えるならば、その細やかな環境の調整が、

                  大河の一滴のように思う。

                  その小さな一滴一滴がなければ、

                  大河はけして流れることはない。

                   

                  このルポルタージュを書きながら、

                  福祉は、普段の暮らしと一続きの道の先で、

                  重ねていく日々を見守ってくれているようなものだと

                  感じるようになった。

                   

                  小さな段差を平らかにする。

                  そして、その平らかさに誰も気づかず、

                  皆が何気なく、そこを通り過ぎていく。

                  あの、車椅子の男性に道を譲ってもらった時のような、

                  軽やかさと、心地よさをもって。

                   

                  何がコワいって、

                  親が転んで骨折するのが、ほんとうにコワい。

                  高齢化する親と生きている

                  40代、50代、60代の友だちと会話で、

                  これもよく出る言葉。

                  それが自分の日常に、普段の暮らしに、

                  どんな影響を及ぼすかを考えて、

                  軽く言いながらも、皆けっこう本気で怖がっている。

                   

                  福祉が、特別なことではなく、

                  普段着みたいに、自分の暮らしの中にあるって

                  なんて心強いことだろうと、今、そう思う。

                   

                   

                  筆者 井上昌子(フランセ)

                   

                   

                          次回  「選択肢を増やし、世界を広げる Vol.1」

                   

                   

                  hihi wo oru

                   

                   

                  JUGEMテーマ:社会福祉 

                  | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 07:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
                  <コラム>「障害」か「障がい」か。|「日々を織る」
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                    ☆「日々を織る」福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ☆

                     

                     

                    <コラム>「障害」か「障がい」か。|「日々を織る」

                     

                     

                    福祉の現場で支援の仕事に就く人たちへの

                    インタビューをもとしにした

                    このルポルタージュ『日々を織る』には、

                    「しょうがい」という言葉が出てきます。

                    たびたび、登場します。

                     

                    この「しょうがい」という言葉を

                    「障害」と記すか

                    「障がい」と記すか。

                     

                    原稿を書きながら、いつも考え、迷います。

                     

                    もともと、私自身は「障害」と記す方でした。

                    「障がい」とあえて

                    「害」の字を“ひらがな”にすることは

                    文字が含んだ「害」という概念に

                    ことさらに気を取られ

                    縛られているような気がして、

                    それはそれで、とまどいがあったからです

                     

                    そして人を傷つける言葉というのは

                    何だろうかと考えました。

                     

                    日本語では身体的な「しょうがい」を

                    言い表す言葉に、とても気を使います。

                    いわゆる放送コードにひっかかる言葉が

                    数々あります。

                     

                    その言葉を読んだり聞いたりして

                    傷つく人や

                    いやな気もちになる人がいるのなら、

                    たしかに、その言葉は使うべきではありません。

                     

                    ただ、その時、

                    問題の本質は、

                    その言葉そのものにではなく

                    その言葉に与えられた概念、

                    その概念を与えてしまった人の思考にこそある。

                    そう思うのです。

                     

                    そして、言葉のカタチ、字面や音を整えて

                    配慮や思いやり、心づかいを

                    果たしたような気になって、

                    本質に向き合うことを忘れる。

                    言葉に、問題を押しつけて、

                    問題の本質から目を背ける。

                     

                    そういうことをしてはいけない、

                    しない自分であろうという思いが、

                    「障害」と記す理由の一つでした。

                     

                    とは言いながら、やはり、

                    それでいいのだと言い切るだけの自信はなく、

                    それでいいのだろうかという迷いは消えませんでした。

                     

                    クライアントのある仕事では

                    当然のこととしてクライアントの考え方に従いました。

                    クライアントの考えや思いを伝えるための

                    文であり、言葉ですから。

                     

                    すると「障がい」とひらがなの方が多くて、

                    やはり「害」という文字を使わない方が

                    より多くの人の心に添うのだろうか

                    いやな思いをする人が少ないのだろうか、と思うようになり、

                    いつしか「障がい」と記すようになっていきました。

                    だけど、やっぱり、迷いは残ったまま。

                     

                    そんななか、

                    福祉の現場で活動している施設や団体で

                    「障害」と記しているということを知りました。

                    すべての施設や団体がそうであるのかどうかは

                    定かではありませんが、

                    私が出会った福祉施設や団体はそうでした。

                     

                    どうして「障害」という表記を用いているのか、

                    その理由はこうでした。

                     

                    障害というのは、

                    人とその人の環境との間にあるもの。

                    だから「障害」とそのまま記す。

                    そして「障害」は

                    人と環境の間にあるものであって、

                    人に属しているのではない。

                    「障害」はある、のであって

                    「障害」をもつ、のではない。

                    「障害者」は

                    「障害がある人」であって

                    「障害をもつ人」ではない。

                     

                    こう理由を教えられた時、

                    曲がりくねった細い夜道の先に

                    月明かりの落ちる野原を見つけたような

                    心持ちになりました。

                     

                    なるほど、そうかと。

                     

                    それ以来、私はまた、個人的な文章では

                    「障がい」ではなく、

                    「障害」と記すようになりました。

                     

                    なったのですが、

                    なって少し経ってから、

                    あるセミナーの講師の一人として登場した

                    障害のあるお子さんのいるタレントの方が、

                    「障害」という文字を見ると

                    ドキッとして、少し胸が痛むと仰いました。

                     

                    「害」という文字のイメージがあまりに強くて、

                    自分の子どもに用いられる言葉に

                    その文字の入っていることに、よい気もちがしないと。

                     

                    ここで、また、迷いました。

                    そうか、やはり現実に、傷つく人がいるのだと。

                    それならば、概念だとかいう理屈の前に、

                    傷つく人のことを考えるべきじゃないのかと、

                    「障がい」と記すようになりました。

                     

                    この「日々を織る」の第1話、

                    「繋がるために」でも

                    「障がい」と記しています。

                     

                    そして、第2話の物語を書き始めた時、

                    Twitterで、障害のある当事者のどなたかの、

                    「障がい」ではなく「障害」と記して欲しい。

                    「障害」と表記を統一してもらった方が、

                    オンラインの検索が容易いのだというような

                    呟きを目にしました。

                     

                    気になって、ちょっと

                    インターネット上で発言されている方の

                    いくつかの意見をあたってみたところ、

                    当事者は「障害」「障害者」と記すことが

                    多いというような情報に触れました。

                     

                    それが、すべての意見ではないと思います。

                    どれが正解という意見もないのが

                    本当のところだと思います。

                    でも、今の私が出会った意見は

                    そういうことでした。

                    そして、より適当なあり方は、

                    当事者の心に沿うことだと思いました。

                     

                    だから、この「日々を織る」での

                    これからの原稿では

                    「障害」「障害者」と記していこうと思います。

                     

                    「障害」は、人がもつものではなく、

                    「障害」は、人と環境の間にあるものだ。

                     

                    そして、その「障害」。

                    人と環境の不具合を調整していくのが

                    福祉の仕事であって、社会福祉のあり方だという

                    今の自分が得た考えを言葉に託して

                    「障害」という表記を選びます。

                     

                    高齢化していく親と生きていくなかで、

                    自分自身も歳を重ねていくなかで、

                    それまで感じなかった「障害」に、

                    生活をする上での環境との不具合に、

                    どんな向き合っていくのだろう。

                     

                    その水先案内として、

                    「誰も一人にしない、一人にならない」

                    環境をつくろうと、

                    日々、課題にぶつかり、力を尽くしている

                    福祉の現場に生きる人たちに

                    話を聞こうと書き始めたこのルポルタージュには、

                    それが合っているように思うから。

                    少なくとも、今の私には、そう思えるから。

                     

                    この後の

                    第2話の原稿から、「障害」とします。

                    この前の

                    第1話の原稿は、「障がい」のままにします。

                     

                    その、右往左往、紆余曲折そのものも、

                    自分の考えがどんな風に変わっていくのかの記録であり

                    自分の気もちの記憶であると思うので。

                     

                     

                    筆者 井上昌子(フランセ)

                     

                     

                     

                                     次回 、囲いを打ち破る。Vol.1 へ

                     

                    hihi wo oru

                     

                     

                    JUGEMテーマ:社会福祉

                    | ☆ルポルタージュ「日々を織る」コラム/記事一覧 | 07:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
                    「日々を織る」福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ
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                      ☆「日々を織る」  福祉の現場に生きる人たちのルポルタージュ☆

                       

                       

                      はじめに

                       

                      介護のこと

                      地域医療や施設のこと

                      高齢になっていく親と生きるということ

                      そして

                      ひたひたと近づいている自分の老いについて…。

                       

                      自分と友人の大半が

                      40代、50代、60代になってから

                      そういう話題が多くなってきました。

                      食事を、お茶を、お酒を楽しみながら、

                      最近観た映画のこと

                      新しく買ったシャツのこと

                      旬の野菜をつかったおすすめレシピなど、

                      たわいない話の端に、すっと顔を出すのです。

                       

                      とりとめのない話のなかに、

                      すっと顔を出しては、さっと消え、また顔を出す。

                      それはきっと、片時も離れることのない考え…

                      自分ではどうしようもない現実と気もち。

                      そんな話のなかで、

                      友だちとしみじみとうなずき合ったことがあります。

                       

                      もしも、扉を閉めて、自分一人で

                      この、親の介護と向き合うことになったら

                      どうなるだろうと。

                       

                      いろんなことが

                      以前のようにはできなくなっていく親の姿が、

                      今、40代、50代の自分の

                      そう遠くない将来の姿と重なって見えて、心をよぎる、

                      体や脳の健康についての不安や問題を

                      どう自分自身で抱えていけばいいのだろうと。

                       

                      避けることも、逃げることも、退けることも

                      できない現実がつきつけてくるだろう

                      様々な問題を思うと怖い。

                       

                      そしてさらに、

                       

                      どうすればいいんだ、どうにかしなければ、

                      どうすればいいんだ、どうにかしなければ、

                      どうすればいいんだ、どうにかしなければ、

                       

                      どうしようもない、でも

                       

                      どうにかしなければ、どうすればいいんだ、

                      どうにかしなければ、どうすればいいんだ、

                      どうにかしなければ、どうすればいいんだ、

                       

                      という袋小路の堂々巡りで

                      疲れ、弱り、擦り切れていく自分の姿を

                      想像するのもとても怖い。

                       

                      そんな気もちでいっぱいになりかけた時、

                      ふと思い出した言葉がありました。

                       

                      「一人にしない。一人にならない。」

                       

                      これは、ある福祉施設の職員さんたちが

                      合い言葉のように口にしている言葉です。

                       

                      利用者さんを一人にしない。

                      同じく、職員も一人にしない。

                      そして

                      職員自身が一人にならない。

                       

                      それまで、第3者として聞いていた言葉が

                      突然、自分ごととして心に浮かんできました。

                       

                      「一人にしない。一人にならない。」

                       

                      シンプルなこの言葉に込められた意味を

                      あらためて考えました。

                       

                      一人にしない。

                       

                      ほどよい距離で見守り続け

                      必要とされる時

                      けして過ぎることなく十分な助けになる。

                      そんな風に人の力になることは至難の業。

                      一人にしないことと、

                      一人でいる機会を奪うことは、まったく別の話。

                      人を助けるって、なんて難しいんだろうかと、

                      少し前、とある仕事を通じて感じたばかりです。

                       

                      そして、一人にならない。

                       

                      これは、一人にしないことよりも、

                      もっと難しいと思うのです。

                      助けを求めるには、

                      助けてくださいと声を上げるには、

                      強さが必要だと思うのです。

                       

                      誰かの力を借りるには、まず、自分を、

                      自分で自分を打ちのめすほど、まじまじと

                      自分の現実を見つめること。

                      そして、それを認めて、受け容れて、

                      自分の弱さ、足りなさを、いわばさらけ出して

                      助けてくださいと声をあげる。

                      それには、やはり強さが必要だと。

                       

                      そして、その強さには、

                      助けてくださいと声をあげても大丈夫だと

                      信じられる「人」と「環境」が不可欠なのだと思います。

                       

                      一人にしない、一人にならない。

                       

                      シンプルなこの言葉の大きさ、大切さを

                      自分ごととして感じた時、

                      このシンプルな言葉を実現しようとしている人たち、

                      環境と人との不具合を調整する役割を果たすため、

                      人と人を、人と地域と、地域と地域を繋げようと

                      日々、福祉の現場で奔走している人たちのことを、

                      あらためて思いました。

                      そして、彼ら彼女たちに、話を聞きたいと思いました。

                       

                      障がい者を支援する福祉施設で、日々、

                      「一人にしない、一人にならない」ことの大切さを痛感し、

                      道のりの険しさ、遠さに直面しても、

                      焦らず、ひるまず、実現に向けて力を尽くす人たちの

                      思いや姿に触れることが、

                      高齢になっていく親と生きていくということ、

                      親の姿をなぞるように

                      高齢になっていく自分を受けいれていくということの、

                      助けになるのではないかと。

                       

                      こんな私の思いを受けいれ、

                      インタビューに応じてくれた福祉の人たちの

                      思いや姿を書いたルポルタージュを、

                      毎週木曜日、このブログに掲載していきます。

                      お時間のある時、ぜひ、読みに立ち寄っていただけたら

                      とてもとても嬉しいです。

                       

                       

                      筆者 井上昌子(フランセ)

                       

                      hihi wo oru

                       

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