消費という行為はセルフプロデュースだ。
何を買い、どう使っていくか、
その行為、過程のすべては自己表現だ。
たとえばフェアトレードによる商品を選ぶというような
日常生活のなかにもある意思表示なのだ。
これは消費者として、
カスタマーに向けての情報発信に携わる職業人として、
ずっと根底にある考えの一つだ。
先日、この考えを共にできる人たちに出会った。
廃棄処分となった波佐見焼きのアップサイクルに取り組んでいる女性たちだ。
彼女たちは、今年の夏、
廃材となった波佐見焼きをテラゾとしてアップサイクルする
プロジェクト”Utte”を立ち上げ、商品化に取り組んでおられる。
プロジェクトチームのメンバーは4人。
波佐見焼きの生地づくりと形成、絵付けに従事している
裏邊彩子さんと裏邊恵さん。
長崎県窯業試験場の研究員を務める石原靖世さん。
そして、このプロジェクトの発起人で、
オランダを拠点に活動するインテリアデザイナー
本村らん子さん、だ。
テラゾは500年以上前にイタリアで生まれた人工大理石。
砕いた大理石などの石材を
白色のコンクリートに混ぜて固めて表面を研磨した資材で、
艶やかで滑らかな質感はまさに人工大理石だ。
彼女たちのプロジェクト”Utte”は
廃材となった波佐見焼きを活用して、
波佐見生まれのテラゾを生むというものだ。
波佐見焼きは慶長4(1599)年、長崎県の波佐見の村で生まれた。
村で採掘した陶石を生地にして大きな登り窯で焼く波佐見焼きは
大量生産が可能な上に丈夫で、当時、高級品であった磁器を庶民に普及させた。
江戸時代、摂津の国(大阪)で、
淀川を往来する大型の船を相手に煮売りの小船が
「飯食らわんか」「酒食らわんか」と
売り声をあげて食べ物や飲み物を売っていた。
その売り声から、この小舟を”食らわんか船”と、
そこで使う器を”食らわんか碗”と呼ぶようになった。
この”食らわんか碗”には、揺れる船でも安定する厚手で重心が低い陶磁器である
長崎の波佐見焼き、愛知の砥部焼、大阪の古曽部焼が使われた。
そして割れにくく、素朴な絵付けを施した波佐見焼きは人々に好まれ、
庶民にも手の届く磁器として普及していった。
こうして波佐見焼きは、江戸時代から
日常生活のなかの磁器、食卓の器として愛され続け、
今も私たちの暮らしのなかに息づいている。
この波佐見焼きを新しいプロダクトとして
アップサイクルしようとしているのが、
彼女たちの”Utte"プロジェクトだ。
日常使いの磁器として愛される波佐見焼きは大量生産される。
その生産量に応じて欠品の数も少なくない。
ヒビが入っている、成形や絵付けに不具合があるなどではなく、
たとえば陶石の成分である鉄の色が小さなシミのように表れても
商社から返品されるものもある。
そして、欠品となった焼き物はすべて廃棄される。
釉薬をかけた磁器は土に返すことはできない。
山から採掘する陶石や大量の水。
生産過程で使った資源は、そのままゴミとして棄てられていく。
陶石を抱く山は採掘のごとに痩せていき、
廃棄処理場となった山では地盤沈下が起きている。
自然の恵みをいただいて物をつくる自分たちの行為が、自然を傷めている。
そんな思いを胸のどこかに抱えながら、職人たちは商品をつくり続けている。
陶石を採掘し、石を砕き、生地をつくり、成形し、
絵付けをし、釉薬をかけ、窯に入れ、焼き上げる。
自分たちが焼いた器を喜ぶ人たちがあって、その仕事は喜びを与えられる。
使われることなく、誰の喜びも受けることなく廃棄されていく器が自然を傷めるとき、
物づくりを愛し、物づくりに生きる人たちの心も痛んでいる。
そして波佐見焼きの職人たちの胸中には将来への不安もよぎっている。
山から採れる陶石は限りある資源だ。
それをただ廃棄物に変えていくサイクルをこのまま続けていっていいのか。
数百年の歴史をもつ波佐見の磁器づくりは産業として継続していけるのか。
そんな思いのなかから生まれたのが、
廃材となった波佐見焼きをアップサイクルするテラゾだ。
粉砕した陶片は、呉須(ゴス)と呼ばれる伝統的な染料の藍色、
若い感性による絵付けのカラフルな色、
そして成形に用いる石膏型の白と、色彩豊かだ。
研磨した面に表れる色模様は、
一度、磁器になった温かみを帯びて、やわらかい。
この波佐見生まれのテラゾを、
どう人の暮らしのなかに生かしていくのか。
これから、テラゾタイルをはじめ、
家具や雑貨などのプロダクトとして展開していく。
食卓から住空間全体へ、
アップサイクルによって波佐見焼きを
どんな風に人の暮らしのなかに届けていくのか。
生まれたばかりのプロジェクト”Utte”は可能性の模索中だ。
そしてもう一つ、この”Utte”プロジェクトには、
プロダクトを通じてメッセージを伝えるという願いがある。
「大量生産化社会は生産者がストップすれば解決する問題ではありません。
これは消費を促すビジネスや商社、また消費者一人一人に責任があり、
ものを作るということ、消費するという事に、
どれほどの意識を向けることができるのかが、
解決方法の糸口に繋がると私は信じています」
このメッセージ、この願いは、
消費はセルフプロデュースであり、自己表現だという考えと繋がっている。
このメッセージに記された思いを知ったとき、
現実に起こっていること、それについて思っていることを
淡々と話される言葉の一つひとつがなぜ浸みてきたのか、
このプロジェクトになぜ心惹かれたのか、腑に落ちた。
消費が破壊であるなら、私たちの未来はどうなるのだろう。
「地球は子孫からの借り物」
ずいぶんと昔、20代の頃に読んだ本で出会った言葉だ。
著者の名前も本のタイトルも思い出せないのだが、
この言葉だけが心に残っている。
インターネットで調べると、
ネイティブ・アメリカの言葉 ”We borrow it from our children.”だとあった。
消費という行為は、セルフプロデュースであり自己表現である。
自分がどんな人間でありたいのか、あろうとするのか。
消費という行為は、自分と向き合う機会だ。
友人にプレゼントを贈るとき、
その人は何が好きで、何を大切にし、何を喜ぶかを考える。
自分に向けても同じようにしてやる。
そうして、自分が喜ぶものを選んでいく。
現実の生活の中で、常にベストを手に入れられるわけではないが、
選ぶことをなおざりにしないことはできる。
選び、所有し、使い、そして破棄するところまで、
自分で選べる限り、その選択を放棄しない。
食卓の小さなお皿1枚、水を飲むグラス1個、箸1膳、箸置き1個、
そういう細やかな物を一つひとつ選んでいく。
そこから暮らしは変わっていく。
どんな人がどんな風に作り、どんな風に店先まで届けられたのか。
そういうことに、ほんの少し思いを寄せて、選んでいく。
生活のなかの、そんな細やかな自己表現が、
自分の暮らしを形づくっていくと同時に、
消費者と生産者と流通者たちがフラットに繋がり、
消費を破壊ではなく創造へと繋いでいく、
自分たちが暮らしていきたいと思う社会や環境をつくっていく
ひとつの糸口になるのではないだろうか。
そんなことを考えさせてくれた”Utte”というプロジェクト。
子孫に借りている地球に蒔いたその一粒の種が、
豊かに実っている明日を想う。
波佐見の山 (写真提供:"Utte" プロジェクトチーム)
instagram : utte_hasami
参考Website
◎波佐見陶磁器工業共同組合
http://www.hasamiyaki.or.jp/porserin/index.html
◎Wikipedia
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